2008-05-02 [長年日記]
# [Art][Photo][Architecture]シュルレアリスムと写真 痙攣する美/知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展/紫禁城写真展@東京都写真美術館 をまとめて見てきたよ!
チケットは3枚まとめて買うとちょっと安くなるみたい。
シュルレアリスムと写真 痙攣する美
まず「シュルレアリスムと写真」から見た。現在ならコンピューターで画像を加工して超現実的な感じにすることはいくらでもできるんだろうけど、シュルレアリスム運動が盛んだった当時、しかも絵画ではなく写真でシュルレアリスムする人たちはフィルムでそれをやるわけで、ソラリゼーションとかフィルムを重ねたりとか、いろいろと技が必要だったのだなあと思う。
シュルレアリスムな写真が絵画と違うのは、街並みとかファッションとか室内装飾とか、実際の物を撮るのでより時代性が現れやすいということで、今見るとクラシックだけどシュールというこの雰囲気は個人的に好みだ。
個人的にリー・ミラーの情報をここ数年来なんとなく追っているので(mixiでリー・ミラーのコミュニティを作ったくらい)、マン・レイがリー・ミラーの眼の写真を切り取ってメトロノームの針に貼ったオブジェが見られたのは良かった。
パリで活動し、パリの街を撮ったりした写真家のものが多かったが、少ないが植田正治など日本人のものもあった。それから名前を知らなかったが瑛九という人のも結構出ていた。
またこの展覧会のパンフレットは、『AVANTGARDE VOL.5特別号 シュルレアリスム特集』ということで、AVANTGARDEという雑誌の特別号(ムック)として出ている。
知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展
次に見たのはマリオ・ジャコメッリ展。ナディッフ代表 芦野公昭氏による展示解説というのをちょうどやっていたのでそれを聴いた。GW中だからか、説明を聴きに来た人だけで50人以上はいてかなりの人口密度。
マリオ・ジャコメッリは印刷工をしながら活動したアマチュア写真家で、2000年に亡くなっている。彼の作品を日本でまとめて見せるのは初めてで、展示では遺作から時間を遡るように初期の作品を見せるようにしたという。
彼の写真は全部白黒で、そのほとんどは強いコントラストで人物や風景を描く。現像にも相当手を加えている様子で、白っぽいところを真っ白にしてしまったりしているみたい。また写真は基本的に1枚1枚にはタイトルはついておらず、シリーズになっていて、シリーズの名前は詩から取ることが多い。
初期のシリーズである(展示では順路の最後にある)ホスピスの死期が迫った老人たちの様子は凄惨だ。芦野氏の解説によると、この写真群でイタリアの福祉行政がゆきとどいていない感じなのを示してしまったせいで、イタリアの文化行政で取り上げられない人になり、「知られざる」という形容詞がつく人になったとのこと。
有名なシリーズとして、真っ黒いマントを羽織った司祭たちを撮った「私には自分の顔を愛撫する手がない(通称:若き司祭たち)」がある。このシリーズの1枚は須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』に出てくる。今なら『須賀敦子全集〈第1巻〉』でも読める。私が持っているのは全集の方。
その写真のことは、以下のように描写している。
いちめんの白い雪景色。そのなかで、黒い、イッセイ・ミヤケふうのゆるやかな衣服をつけた男が数人、氷の上でスケートをしている。まんなかのふたりの人物は、たのしそうに笑いながら、ひとりはこちらを向いていて、もうひとりは、横顔をみせ、ふたりのマントが、ふしぎな三角形をえがいて風に吹かれている。右はしのずっとうしろに、これも黒い、先端にポンポンのついた毛糸の帽子をかぶった男が、ほとんどふたつ折れになった格好で、むこうに滑っていく。どういう角度から撮ったものか、その帽子ぜんたいが、とがった鉛筆のように細まって写っていて、それがスピード感のあるその男の姿勢とあいまって、なにか、いたずらを発見されて遁走中の小悪魔といった、奇妙なおかしさがある。
須賀敦子は、この写真に写っている司祭のひとりが友人のダヴィデであること、この写真のシリーズ名が彼女に親しみのある詩だったことに触れ、それからダヴィデの思い出話につづいていく。
私はこの写真というのがこのシリーズで何枚かあるうちのどれだろうかと思い、「右端にとがった鉛筆のようなポンポンのついた毛糸の帽子が写っている男」のいる写真を特定した。ということは写真の真ん中あたりにいるこの人がダヴィデなのか、と思った。
【5/12追記】
あとから指摘されたのだけど、『コルシア書店の仲間たち』に出てくる写真は現存しても写っているのがダヴィデとは限らない。きちんと計算すると撮影年代とダヴィデの年齢にずれがあり、被写体がダヴィデという部分は須賀さんの創作という可能性がある、と指摘された。
ちょうど少し前、5月4日の日経新聞22面に須賀さんの作品はエッセイ風だが、実はかなり創作が入っており、エッセイ風小説とも呼べるようなものだということが書いてあった。これを読んでいながらその可能性に気づかなかったのはうかつだった。
紫禁城写真展
写真美術館の解説より
宙の中心とまでいわれ、500年に渡って栄華を極めた中国「紫禁城」。1911年までは明・清24代にわたる皇帝の住居であり、政治の舞台として世界最大の皇宮でしたが、当時は一般の人々が立ち入ることは許されず、秘密のヴェールに包まれていました。
そして1900年にその姿を撮影したのが、千円札に描かれた夏目漱石の写真でも知られる日本人写真家の小川一真です。太和門、中和殿、乾清宮・・・、プラチナを使った美しく貴重なヴィンテージプリントが織り成す小川の写真を、人気中国人現代作家、候元超が撮影した現在の故宮の写真とともにご紹介いたします。
入り口のあたりでは1900年に小川一真が撮ったものと現在の写真が並べてあるんだけど、昔の写真の方が現在の写真よりちょっと荒れた感じ。展示の解説として、小川一真のコメントで、「写真を撮った当時は数十人の宦官が紫禁城に残っていて、撮影の邪魔をした。あるときは足場を縛っていた縄を夜のうちに切ってしまい、翌日その足場に乗って撮影しようとしたら足場が崩れ、落ちて死ぬところだったが身体が縄に引っかかってなんとか助かった」みたいなことを書いていたのが面白かった。
そして現在の写真と比べる限り、紫禁城はかなりよく保存されている。だから、写真で見た過去の姿がもう二度と見られない姿というわけではないようだ。だとしたら、白黒で細部が分かりづらい古い写真よりも、現物を自分で見てみたい。wikipediaによると現在建物は順次修復中らしいけど、修復が済んだら一度実物を見にいって「ラスト・エンペラーごっこ」がしたいぞと思うのであった。



はじめまして。わたしも「この人がダヴィデなのか」と思ったひとりです。<br>http://www.mariogiacomelli.it/53_mani06.html<br>じっさい創作の可能性というのはどの程度なのでしょうか?<br>ほかのことならともかく、まったくの別人を友人に見立てるような、こういうことまでフィクションにしてしまうのは、わたしの中の須賀さんのイメージとはすこし異なります。ジャコメッリも有名な写真家のようですから、こうして現実的に誤解を生む可能性もじゅうぶん考えられたでしょうし…。<br>もしご存知でしたらぜひ教えてください。
創作の可能性というのがどの程度かというのは、私にも分かりません。<br>本文の年齢の計算というのも私がしたものではないので、詳しいことはわかりません。
お返事ありがとうございます。<br>「可能性」は無限ということですねー