2008-04-25 (Fri) [長年日記]
#1 ウルビーノのヴィーナス展@国立西洋美術館 で考える裸の近代絵画
GWに入ったら絶対混雑するからと思い、GWに入る前ぎりぎりに国立西洋美術館のウルビーノのヴィーナス展に。人が多いことを予測して午前中に観たいと思っていたが、着いたのは11時くらいで、すでにかなり混雑していた。
展示内容は、古代からのさまざまなヴィーナス画・ヴィーナス像など。絵画は当時重要な室内装飾であったので、多産を祈って夫婦の寝室などにヴィーナス画が置かれたことも多かったという。
これらには当時の、女性の裸を見たいという(男性からの)欲求に答えるという目的もあったのだろうか。裸のヴィーナス像は性欲の対象になっていたのか、ぶっちゃけ当時これでオナニーしていた人はいたのだろうか。それとも展覧会には決して出ないけど、こういうのとは別に日本で言う春画みたいなものがあったのか。などと考えながら見ていた。
西洋絵画では長い間、女性の裸を描いても、それがヴィーナスのような神話に基づいたものならOK(装身具や背景は描かれた当時のものでもよい)、しかし同じような衣装やポーズ、構図でも一般人女性の裸はダメというお約束があった。
それに挑戦したのがマネで「オランピア」「草上の昼食」などで一般人の女性の裸体を描いて、1860年代に物議をかもした。「草上の昼食」は草原で紳士たちが普通に服を着てピクニックという感じで座っているところに、いきなり裸の女性が交じっているもの。
「オランピア」は横たわる裸婦像だが、小物や黒人の女中が持っている花束などから、当時の人が見れば明らかに娼婦であることが分かるものだという。「ウルビーノのヴィーナス」と比べると、ポーズや背後の壁の位置、右腕のブレスレットなどがほぼ同じなので、これはオマージュとして描いていると思う。
もっと前(1800年前後)に裸の一般女性を描いたのがゴヤ。「着衣のマハ」「裸のマハ」という同じポーズの女性で服を着ているバージョンと、裸バージョンで描かれた。これらは裏表に張り合わされ、普段は「着衣のマハ」が見えるようにしておいて、特別な客が来たときだけ裏返して「裸のマハ」が見えるようにしたという話を聞いたことがある。
またWikipedia:裸のマハによると以下のようにある。
西洋美術で、初めて実在の女性の陰毛を描いた作品といわれている。そのため、当時のスペインでは、問題になった。この絵が誰の依頼によって描かれたかを明らかにするために、ゴヤは何度か裁判所に呼ばれた。ゴヤは他人から依頼を受けて絵を描くことが多かったからである。しかし、結局、ゴヤが口を割ることはなかった。
あと今回展示されていないヴィーナス画としては、「クラナッハのヴィーナス」がつり目気味の眼といい、スタイルといいエロくていいと思う。
上記で利用した絵は、全部ウィキメディア・コモンズからもらってくることができた。いい時代になったものだ。誰かこれらを使って「やる夫で学ぶ西洋美術史」(近代まで)とかをやってくれないものか。
(展示と関係ない絵の紹介終わり)
以下は今回展示されていた絵で個人的に気に入ったもの。私が絵はがきを買ってスキャンした。比較的マイナーな絵なので情報も一緒に載せておく。
ルカ・カンビアーゾ「海上のヴィーナスとキューピッド」 1560〜65年頃、油彩/カンヴァス 102×95cm ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵
アンニバレ・カラッチ「ヴィーナスとキューピッド」 1591〜92年、 油彩/カンヴァス 110×130cm モデナ、エステンセ絵画館蔵
ラファエッロ・ヴァンニ「キューピッドを鎮める『賢明』」 油彩/カンヴァスに貼られた絹布 103×83cm ビストイア県庁蔵
これは絵画には普通使われないという絹布に描いてあるのは、絵の上に置いて下の絵を隠すためだったという。何か見られたら都合の悪い絵が下にあって、だから「賢明」はキューピッドに「めくっちゃダメよ」と言っているのだ。
その後、常設展も見た。いつもそうだけど特別展とは人口密度がかなり違う。コルビュジェが設計した空間として楽しめるのは常設展のほうだ。吹き抜けあり天井光あり柱あり階段(上れないけど)あり。天井の高さが違うのを生かして低いところには小さな絵を、高いところには大きな絵をかけたり。こちらは写真撮影も禁止されてないので(商用はNG)、次に行こうと思っているコロー展の時にはカメラを持っていこうと思った。
#2 南博トリオ@中目黒・楽屋
スタンダード曲のみ収録の新アルバム「Like Someone In Love」発売記念ライブ。このアルバムの収録曲がamazonにも載ってないので書き写しておく。
- My Foolish Heart -Victor Young / Ned Washington
- Like Someone In Love -Jimmy Van Heusen / Johnny Burke
- Solar -Miles Davis
- Misterioso -Thelonious Monk
- How Insensitive -Antonio Carlos Jobin / Vinicious De Moraes
- Eiderdown -Steve Swallow
- Chelsea Bridge -Billy Strayhorn
Chelsea Bridgeは最初に聴いたときから初めての感じがしないのだが、菊地成孔のペペ・トルメント・アスカラールとかでライブの時とかにやってないだろうか? 自分のiTunes(菊地成孔、南博のかなりのアルバムが入っている)にはこの曲名は他に入っていなかったのだけど。どこかに同じフレーズが入った曲があるのかな。南さんはこの曲を「作曲者が冥界に行って作った曲」と言っていた。あと5月15日に出るという南博氏初の著作『白鍵と黒鍵の間に』の宣伝とか。アンコールでアルバム冒頭の「My Foolish Heart」を演奏して終了。
終了後、メンバーが販売していたCDにサインしたりしていて、買ったCDを家に置いてきた私はくやしい思いをした。CDを持ってくるか、ここに来るまで買うのを待てばよかった。だって、今までの「Elegy」とか「Touches&Velvets」は黒いジャケットで隙間がないけど、この新しい「Like Someone In Love」はジャケット写真の青い隙間にサインを入れてもらいたいような気がするのだ。
会場の中目黒・楽屋はタイカレーとかベトナム麺とかが食べられるエスニック系の店で、開演は7時半だったけど、私はその1時間前くらいに来て飲み物とタイカレーを頼んで夕食にし、食べ終わってゆっくりしてから演奏が始まった。



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