2006-09-02 (Sat) [長年日記]
#1 オーマイニュースvsブロガーイベント@早稲田大学
上のリンク先のように、レポートはすでにあちこちにあるので、個人的に思ったことを書く。
鳥越さんは「ネットのことは知りません」と堂々と認め、とにかく市民記者を増やすのが先決、なかには質の高い記事もあるだろう、とあえて客寄せパンダに徹しているのだなと思った。
しかし現場の記者・デスクは「記事が多すぎてチェックできない」ということも言っていた。私はオーマイニュースはほとんど見てないけど、今ですらチェックが甘い記事が多いらしいし、だとすると、これ以上市民記者の投稿が増えたら破綻するのではないだろうか。鳥越さんが自分の知名度を生かして客寄せパンダという役割を担うのも悪くはないが、あまりにも現場の実情と乖離していたら、それはやはり問題ではないか?
これも結局梅田望夫流にいう「玉石混合のネットのなかから、石をのけて玉を拾い出す手段をどうするか」という話だと思う。そして、ライブドア等も含む「市民記者制度」というのは、それをデスク等が手動でやるということなんだろう。そして、それは「筋が悪い」やり方なんじゃないか、と私は思っている。Google Newsみたいにロボットを徘徊させてランク付けするか、はてブとかdiggみたいな一人ひとりの負荷は低い人力積み上げ方式がネットの性質には合っているのではないか。
デスクチェックにもそれなりに熟練が必要だし、今それをやっている人たちは新聞社などで高給を取っているわけだ。その人たちをはりつけて「石から玉を見つけ出し、玉になりそうなのはそれを磨く」というのはコスト効率がかなり悪い。そういう人たちは訓練された社員記者の原稿を見ているのがやはり能率がいいんだと思う。
市民記者を使うなら、彼らにお金を渡すのではなく、彼らからお金を取るけど記事のチェックとかしっかりやってあげるよ、という、ある意味「マスコミ学校+自費出版」的なビジネスモデルを取るしかないのではないか。ブログ以外の形で世の中に物を言いたい願望、記者になりたい願望というのは結構あるみたいだし。
#2 『パビリオン山椒魚』公開記念トーク&ライブ@代官山UNIT
とりあえず、トークイベントも含めて2時間くらい立ちっぱなしはつらいっす。開始前や休憩時間には地べたに座っている人も結構多かった。
とにかくとても変な映画で、ちらしやなんかを見ていると、コジャレたサブカル人総推しという感じになっているので、この日も菊地成孔が強くお勧めしていたけれども、逆に私は見なくてもいいかなと思った。(菊地成孔もそうだけれど)ゴダールの映画とかを賞賛するタイプの人がすすめる映画なのかな。私はそういう前衛映画は寝ちゃうたちなんで。あと、公式ブログの文体は結構すべっていると思うのだがどうか。でも、この日のミニライブを聴いて、「サントラはちょっと欲しいかも」と思った。
あと、イベント中に菊地さんがかけていた、最初、この映画の主題歌にしたいと監督が考えていたという『I've got you under my skin』はDinah Washingtonの『Dinah Jams』に入ってますね。私も結構好きな曲なんだけど、使用料が高くて諦めたそうです。監督はジャズ喫茶の「いーぐる」でバイトしていたそうで、菊地成孔と知り合いなのもその縁もあって、とのこと。
2006-09-08 (Fri) [長年日記]
#1 『フロー体験 喜びの現象学』(M・チクセントミハイ)
CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ:Flow 〜 今この瞬間を充実させるための理論その他で本書の存在を知った。結論からいうと、この本はおすすめ。内容紹介のため、以下に引用と要約をする。
本書は――喜び、創造、生活への深い没入過程など――私がフローと呼ぶ人間の体験の能動的側面についての二〇年ほどの研究成果を一般向きに要約したものである。(序)
とはいっても、よくある薄っぺらい自己啓発系の本ではない。著者は本書で「フロー」とか「最適経験」と呼んでいるものは以下のような状態だと説明する。そしてそれは、強制収容所にいる人とか、低賃金で工場で単純作業をしている最中の人とか、一般的に幸せであると思われていない状態でも起こりうるという。
自分は不可知の力によってもてあそばれているのではなく、自分が自分の行為を統制し、自分自身の運命を支配しているという感じを経験する時はだれにもある。まれにそれが生じると我々の気分は高揚し、長いこと待ち望んでいた深い楽しさの感覚が生じ、その感覚は生活のあるべき姿を示す道標として記憶に残るのである。(p.3)
著者は最初は芸術家やスポーツ選手など、自分が本当に好きな活動でお金を稼いでいる人に、のちにもっと一般的な人に幅広くインタビューやアンケートをおこない、「フロー」経験は国籍・文化や老若男女を問わないことが分かったそうだ。それを可能とする条件は以下のとおり。
第一に、通常その経験は、達成できる見通しのある課題と取り組んでいる時に生じる。第二に、自分のしていることに集中できていなければならない。第三、および第四として、その集中ができるのは一般に、行われている作業に明確な目標があり、直接的なフィードバックがあるからである。第五に、意識から日々の生活の気苦労や欲求不満を取り除く、深いけれども無理のない没入状態で行為している。第六に、楽しい経験は自分の行為を統制しているという感覚をともなう。第七に、自己についての意識は消失するが、これに反してフロー体験の後では自己感覚はより強く現れる。最後に、時間の経過の感覚が変わる。数時間は数分のうちに過ぎ、数分は数時間に伸びるように感じられることがある。これらすべての要素の組み合わせが深い楽しさ感覚を生む。それは非常にやりがいがあるので、大量のエネルギーをそれを感じるためにのみ消費するに値すると感じるのである。(p.62)
本書は、仕事、人間関係、身体活動、思考など様々な場合のフローについて、またフローを起こしやすい人や状況とは何かについて説明していく。
フローを作り出しやすい趣味や仕事というものが存在し、本書でたびたび取り上げられる外科医、ロッククライマーなどはその条件を満たしている。しかしすでに書いたとおり、どんな職業、どんな趣味でもフローは起こりうるし、下記のような個人差もある。
人はそれぞれ、他の人より高く評価する特定の情報に対しては気質的に敏感であり、その情報を含むフィードバックに対しては他の人よりも身近に感じる傾向がある。
たとえば、音に対して生まれつきとくに敏感な人々がいる。彼らは普通人以上に異なる音色や調子を聞き分けることができ、音の組み合わせを認識し記憶することができる。このような人々は音で遊ぶことに心を引かれることが多く、聴覚的情報を統制したり形作ることを身につけるだろう。彼らにとって最も重要なフィードバックは音を組み合わせること、リズムやメロディを作ったり作り変えたりできるということにある。このような人々の中から作曲家、歌手、演奏家、指揮者、そして音楽評論家が生まれてくる。これと対照的に、他者に対して遺伝的に異常に敏感な人々がおり、彼らは他者が送り出す信号に注意を払うことを身につける。彼らが求めるフィードバックは人間の情緒の表現である。(p.72-73)
外科医がフローを体験しやすい職業であることについては、以下のように述べられている。
外科医の仕事は腫瘍を切除する、骨を接ぐ、いくつかの臓器を再び働かせるなどきわめて明快である。一度その仕事が完了すると、切口を縫い合わせ、成功感をもって次の患者に取り掛かる。
同様に、手術には直接的で継続的なフィードバックがある。腹腔に血液が溜まっていなければ手術はうまく進んでいる。そして病変のある組織が摘出されるか骨が接がれるかする。(略)外科医は手術の過程を通して、自分が成功しているかどうか、うまくいっていない場合はなぜうまくいかないのかを正確に知っている。ほとんどの外科医は、この理由だけで手術は他の医学の領域やその他のすべての仕事よりはるかに楽しいのだと信じている。(略)多くの外科医は、円滑で効率的に動くよく訓練されたチームの一員であることは、いかに気持ちを高揚させるかについて述べている。そしてもちろん手術をより手際よくやる可能性、自分の能力を伸ばす可能性は常に存在している。(略)
手術が行われる方法は注意の拡散を遮断し、すべての注意を作業の進行に集中するのに役立っている。手術室は、まさにスポットライトが演技と俳優を照らし出す舞台のようである。手術の前には外科医は準備を終わり、消毒し、特別の衣服を――試合前の競技者、または式典の前の牧師のように――身につける。これらの儀式には実際的な目的があるのだが、同時に日常生活での関心から祭式執行者を切り離し、これから演じられるべきことがらへ精神を集中させるのに役立っている。何人かの外科医は、大切な手術のある日の朝は同じ朝食をとり、同じ服を着、同じ道を車で通ることによって、自分を「自動操縦装置」に仕立てるという。彼らがそうするのは彼らが迷信かであるからではなく、この習慣的な行為が目前の挑戦に完全に注意を集中することを容易にするからである。(p.194-196)
フローを経験しやすい人としにくい人がいる。意識を統制してコントロールする能力を身につければ、フローを経験しやすく、逆に注意散漫だと経験しにくい。注意を散らす原因はいろいろあるが、生活の気苦労や自意識過剰などで、その人が属している社会や文化にその原因がある場合もあるし、生まれつき注意を集中しにくい人もいる。しかし、精神分裂症のような精神病によるものでないかぎり、学習によって集中できるようになるとしている。
たとえば、エッシャーのような二通り以上の見方ができる絵に対して、見方を転換するために、視線をより多くの点におかなければいけない人と、少ない点を見るだけで転換できる人とがいて、後者のほうが生活に対して精神的な満足度が高いという。
これらの研究上の発見は、同じ精神的作業を達成するのに要する外的な手がかりの数は、人によって異なるということを示唆している。意識の中に現実の表象を形作るために多量の外部情報を必要とする人は、心を働かせるうえで外部環境により多く依存するようになるだろう。(略)これに対し、意識の中のことがらを表象するのにわずかの外的手がかりしか必要としない人は、環境に対してより自律的である。彼らは経験をより容易に再構成する柔軟な注意力をもち、したがって最適経験を達成することが多い。(p.111)
別の実験では、実験室の中で閃光または音に注意する(つまり注意を集中させる)ようにしたときに、大脳皮質の活性値を測定した。すると、フローを多く体験する人は、注意を集中しているときの活性値は減少した(=精神的努力が少ない)そうだ。
さまざまな状況下で楽しむことができる者は、刺激を選別し、自分が当面関わりを持つと決めたことだけに焦点を合わせる能力をもっていることを示唆している。普通、注意を払うということは、通常の基本的努力を超えた情報処理上の負担を負うのであるが、意識を統制することを身につけた人々は、意識の集中にあまり努力を必要としない。彼らは関わりのないすべての精神的過程を閉め出すことができるからである。(p.111-112)
フローを経験するためには、自分のすることをフローが起こりやすいような形に持っていくことと、「自己目的的な自己」を作ることの両方が必要である。
「自己目的的な自己」とは潜在的な脅威を楽しい挑戦へと変換し、したがって内的調和を維持する自己である。決して退屈せず、めったに不安に陥らず、現在進行しているものごとに関わりをもち、そしてフローしている人は必ずといっていいほど自己目的的な自己をもつ人といえよう。(略)このような人は自己の内側から生じる目標以外のものを比較的わずかしかもたない(略)ほとんどの人の目標は直接的には生物学的要求や社会的慣習によって形作られ、したがってそれらの起源は自己の外にある。
(略)このような自己を発達させるルールは単純であり、それらはフローモデルから直接に引き出される。簡単にいえば、それらは次のように要約される。
一、目標の設定 フローを体験するには、その達成に努めるべき明確な目標をもたねばならない。自己目的的な自己の持ち主は――結婚し、しっかりした職をもつというような一生の目標から、週末には何をするか、歯医者の待合室でどう時間を過ごすかなどの些細なことにわたって――あれこれ迷うことなく、また最小限の動揺で何をすべきかを選び取ることを身につけている。(略)
二、活動への没入 行為のシステムを選択したら、自己目的的パーソナリティをもつ人は、自分の行っているすべてに深く没入するようになる。無着陸世界一周飛行であれ、夕食後の皿洗いであれ、現在行われていることに注意が集中される。
このようなことをうまくやり遂げるには、挑戦対象と自分の能力との間のバランスをとることを身につけねばならない。ある人々は二〇歳にもならないのに、世界を救おうとか百万長者になろうとかいう非現実的な期待をもつことから始める。希望が挫折すると多くの者は意気阻喪し、彼らの自己は実りのない試みに費やされた心理的エネルギーの喪失のために萎縮する。また逆に、多くの人々が自分自身の可能性を信じないために活気を失う。(略)
三、現在起こっていることへの注意集中 (略)自己目的的な自己をもつということは、行為システムへの没入を維持する能力があることを意味している。混乱を引き起こす最も一般的な原因である自意識は、このような人にとって問題にならない。自分がどのように振舞っているか、自分は外からどのようにみえるかについて思い悩むことなく、彼は心を挙げて自分の目標に立ち向かう。
四 直接的な体験を楽しむことを身につける 自己目的的な自己をもつ――目標を設定することを知る、能力を伸ばす、フィードバックに敏感になる、注意集中や関与の方法を知る――ということは、客観的な状況が劣悪で醜悪なものである時でさえも生活を楽しむことができるということである。(略)
しかし、このような統制を獲得するには決意と訓練が必要である。最適経験は快楽主義的で非現実的な日常の過ごし方からは生まれない。(略)無秩序な事柄をフローに変換するには、可能性を伸ばし、自分を今以上のものにする能力を発達させねばならない。フローすることで人は創造性やめざましい成果を得られる。楽しさを維持するために能力を徐々に洗練していくことの必要性は、文化の進化を背後から支えているものである。(略)
(略)日々のできごとを意味あるものにするためには、全体的な文脈での目標を持つことも必要である。それぞれの活動を結びつける秩序を持たず、ただ一つのフロー活動から別のフロー活動へと移ることを繰り返すならば、人生の終わりに過去を振り返り、過ぎ去ったできごとに意味を見出すことは困難になるだろう。最適経験の達成を願う人々に対してフロー理論が提出する最後の課題は、どのような行為であれ、フロー活動間に調和を生み出すにはどうすればよいかということである。これは不変の目的を定める統合された目標によって、生活全体を一つのフロー活動に変換することを意味している。(p.261-267)
2006-09-09 (Sat) [長年日記]
#1 Google Image Labelerは英語の勉強になる
IA Spectrum:ソーシャルタギングをゲームにしてしまうGoogle経由。
Googleがイメージ検索の精度をあげるために、ネット上の2人を一組にして、同じ画像にタグをつけさせて、ネットの向こうの見知らぬ人と同じタグをつけたらポイントをあげますよというゲームを始めた。
これがやりはじめると結構はまってしまう。こちらのやることは、画像を見て制限時間内にイメージする単語を英語で書く(あるいはこの画像はパスすると決める)のだけど、「あれって英語でなんて言うんだっけ?」等と考えて頭を回転させることになる。そのうちタブで英辞郎を開いて切り替えながらやっていた。
もう3つもタグを出しているのに相手と一致してない!この画像を表現する単語は他になんだろう…とか考えたり、あらかじめ「この単語以外でタグを指定してね」というのが出てくることがあって、そこに書いてある単語以外思いつかなかったり。英語のボキャブラリーを増やすのに結構いいかも。
#2 yomoyomo氏上京宴会
だいたい年2回くらいあるyomoyomo氏上京宴会。前回は6月だったから、今回は比較的間が空いていない。毎回、来る人は微妙に入れ替わっていて、常連もいるけど、今回がはじめてという人も、たまに来ていて2〜3回目くらいの人もいるし、初期の頃来ていてその後来なかった人が最近また来るようになったり、なんだかんだで毎回20人くらいにおさまっている。
いちおう私が幹事だったにもかかわらず待ち合わせに遅刻したわけだが、それでもまあ大体うまくやってくれるだろうという安心感があって(いやすいませんすいません)。
2002年くらいから続いているので、なんというかここに集まるような人たちの中にいるときが「個人サイト持ちとしての自分」のホームグラウンドという感じがあり、サイト続けててよかったなぁと思うときでもあります。
なんか最近ブログのアクセスが多すぎると話の分からない連中から悪意のあるコメントを食らってどうのこうのという話が多いけど、まあ私も悪意のあるコメントを受けたこともあるけど、基本的にはアルファブロガーになれるような立派なエントリも書けず、アクセス的には辺境の地でまったりやっていられるのが幸せなのかなあ。
関連リンク集
2006-09-10 (Sun) [長年日記]
#1 『太陽』@ワーナー・マイカル・シネマズ板橋
終戦直前と直後の昭和天皇を描く、ひっそりとした映画。
玉音放送とか、マッカーサーと並んでの写真とか、日本人の記憶に残っていそうな有名な事件はわざと避けられているかのようだ。薄暗い部屋で侍従(佐野史郎、老けたなぁ)やマッカーサーとしゃべっているシーンがずっと続く。
これも映画館に見に行った『ヒトラー 〜最期の12日間〜』と比べて考えると、その植物っぽい静かさや抽象性をより強く感じる。ヒトラーは完全に逝っちゃっていて、自分の誇大妄想に必死でしがみついているという感じだったのだけど、この映画での昭和天皇は冷静で、どんな条件をも呑むとマッカーサーに伝え、普段は何か言いたげに口をぱくぱくさせているのだけど、しゃべらないことも多い。
『ヒトラー』の方は、ヒトラーの近くで働いていたある女性の眼を通して描いたものということもあって、女性が多く出てきたのだけど、『太陽』の方は、最後に桃井かおり演じる皇后が出てくるまでただの一人も女性が出てこないのも対照的。
どの映画館で見るか
この映画は、最初は銀座シネパトスでしかやっていなくて、ここで大人気だったので上映館が増えたのだけど、私の家から行くならやっぱり一番近いのは銀座シネパトスだった。しかしこの映画館、Y!映画での評判がすこぶる悪いのである。
地下鉄日比谷線が映画館の壁挟んですぐを通過しているせいで、ゆれるし地下鉄が通過するたびに館内に爆音が響く。
とか、
映画を観始めて40年中、世界中の上映館の中でも最悪の劇場だった。これでは誰も映画館に1800円も払って観に行かなくなって当然。
とか、
まず、周囲一体に悪臭が漂っている。その淀んだ空気は恐らく近隣の食堂的な飲食店等の影響が大きいとは推測できるものの、館内に入っても全くその臭気が改善されることはなく、かえって、トイレ・ドブ・下水道類の悪臭と混ざったような臭いが立ちこめていた。
とか。あまりにもひどいけなされっぷりで逆に興味をそそられたけど、お金を出してまで行くもんでもないかなとも思いなおした。
そんなわけで、池袋から東武線に乗ってワーナー・マイカル・シネマズ板橋に行ってきた。ここは駅からすぐだけどゆったりした郊外型スーパーの中のシネコンという感じで、設備も新しく別に悪くなかった。日曜日の夜に観にいったけど『太陽』はガラガラだった。
2006-09-14 (Thu) [長年日記]
#1 yucoのメモを移行します。
ishinaoさんの新サービスの方に(やっとですが)移動します。
数は少ないと思いますがRSSを登録してくれていた人もいるようなので、お知らせ。
また、いままでメモした内容をこの日記にも表示させるようにしていましたが、これは次の更新以降はやめようと思います。メモした内容にコメントをもらえることもあり、これはこれで意味があったのですが(たとえば、最近でいえば稲葉×山形対談のバックナンバー一覧など)、意味なくはてなアンテナが上がってくるというデメリットもありましたし。
#2 yuco.netドメインを2011年まで延長
最初にドメインを取ったときの日記。いまみると初々しいな(笑)。1999年10月23日にドメインを取って以来だから、もう7年か。
ちなみにドメインはムームードメインで管理している。確か昨年までは1年単位での延長しかできなかったのだけど、今回は10年までの延長が可能になっていたので、5年分にした。
同じドメインでずっと続けているのは、たとえば2〜3年ぶりにサイトに訪れる人に「なんだこいつ、まだやってるのか(笑)」と思われたいから。yukoと間違えやすいという欠点はあるけど、それを除けば、短いし、おぼろげな記憶でもなんとかたどりつけるんじゃないかと思う。
1999年にドメインを取ってレンタルサーバーをはじめて探したときと比べると、個人サイト運営まわりの事情もずいぶん違ってきたなぁと思う。web日記という名前はすでにあったけど、ブログなんて(少なくとも日本では)誰も言っていなかったし。
レンタルサーバーも、現在のさくらインターネットに落ち着くまではおよそ1年単位であちこちに変更してきた。レンタルサーバの値段がどんどん下がっていき、契約期限切れをきっかけにレンタルサーバを探すたびに、同等あるいは格上のサービスでもっと安い値段のものが見つかったせいもある。過去にはひどい業者に当たったこともあったなぁ。
いままで使ったので一番安かったのは、現在のさくらインターネットの前に使っていたロリポップで、月額263円としては価格相応のサービスだとは思う。ただし、Rubyのバージョンアップをいつまで経ってもしなくて、tDiaryの一部機能が使えなかったのと(要望のメールを出したのだけど、テンプレートっぽい「前向きに検討させていただきます」という返事しか来なかった)、いろいろ勉強するためにもシェルログインくらいはできる環境の方がいいと思ったので移転することにした。
次にドメインを更新する2011年には、個人サイト界隈はいったいどうなっているのかな〜。
# yuco [いや結構ネットで言及されるときに「yukoさん」って書かれたりしますよ。 まあ私もパスポートや正式書類にはyukoっ..]
# shino [ムームードメイン&さくらインターネットでマルチドメインの設定ってどうやるんですか?]
# yuco [マルチドメイン?私の場合一つしかドメインを使っていないので、よくわかりません…。 サブドメインのことなら、さくらのコ..]
# shino [あ、ごめんなさい。サブドメインでした。 さくらのコントロールパネル、ちょっと見直して見ます。]
# yuco [正式名称は「さくらインターネットサーバコントロールパネル」みたい。 https://secure.sakura.ad..]
2006-09-17 (Sun) [長年日記]
#1 携帯広告と文字コード
ちょっと前に久しぶりにアクセスログを見てみたら、携帯からの閲覧が思った以上に増えていた。特にEZwebのトップにあるGoogle検索とみられるリファラがすごく多い。
検索されている単語もPC経由と携帯経由ではずいぶん違っていて、携帯だと芸能人の名前なんかが多い。ちなみに私のサイトに携帯検索で来る人のうち一番多い検索ワードは「華原朋美」で、ためしにEZwebのGoogleでぐぐってみたら結構上の方(3ページ目くらい)に99年に書いた日記が出てくるのだ。携帯検索のアルゴリズムがまだまだなのか、それとも世の中に携帯対応ページが少ないのか。もちろんPC版検索ではそんな上の方には来ない。
そんなに多いなら携帯用の広告でも入れるべということで、ちょっと調べてポケットアフィリエイト(ここはDeNAがやっているところで、審査がなくて早い)経由でTimebook Townの広告を入れてみたんだけど、文字化けする。
tDiaryのskelディレクトリに入っている携帯用ページの文字コードは、Shift-JISのよう。tDiaryの携帯表示は、タイトル−ナビゲーション−日付−日記本文−ツッコミとなっているので、skel/i.day.rhtmlを見て、タイトルとナビゲーションの間にShift-JISでそのまま日本語の広告テキストとリンク(ごく普通のa href)を埋め込むと、広告そのもの、ナビゲーション、日記本文の最初の方が文字化けする。タイトルと日付は、私の場合英数字だから化けないだけかも。
skel/i.day.rhtmlをEUCにしてしまうと、少なくとも私の携帯(au neon)ではタイトル−広告−ナビゲーション−日付−日記本文とここまでは化けないが、ツッコミ欄が化ける。そもそも携帯でEUCに対応している端末は少なく、Shift-JISにすべきなんだそうだ。
どうしようかなーと思っていたが、skel/i.header.rhtmlに普通に文字コード宣言
<META HTTP-EQUIV="Content-type" CONTENT="text/html; charset=Shift_JIS">
を入れたらあっさり解決し、すくなくとも私の環境ではShift-JISのままで広告からツッコミまで化けずに読めるようになった。
2006-09-20 (Wed) [長年日記]
#1 爆笑問題のバク天 川田アナ 女の武器(あまえ)は通用するのか?
sociologbook:女の武器で知りました。
女嫌いな人がみたらますます女嫌いになること必至(この動画のはてブ)。
しかし、アナウンサーになるような人はやっぱりコミュニケーション能力高いなぁ〜、と思ったり、でもその能力の高い若い女の子が「ぶりっ子」と呼ぶしかないふるまいを選んでしまうのは、やっぱり日本のロリコン文化なのかなーと思ったり、ここに出てくる川田アナは、ぶりっ子戦略が通じない年齢になったとき、他のふるまい方で「正攻法だとできないけど、どうしてもやりたいこと」を通すことができるのかなぁ、とかいろいろ考える。
「コミュニケーション能力/交渉能力の高さ」と「ぶりっ子」は分けて考えた方がいいような気がしている。ぶりっ子でコミュニケーション能力低い人もいるだろうし。
tDiaryでYouTube貼り付けてる人ってあんまり見ないけど、できるのかなぁと思ってたらたださんがプラグインを書いてた。
# yuco [>h12o >いるよ (苦笑)。 なんすかその実感のこもったコメントは(笑)。コミュニケーション能力の低いぶりっ..]
# shiro [番組の演出上「ぶりっ子」とか「女」に焦点が当たっちゃってますけど、彼女がやってるのは本質的には説得術で、「ぶりっ子」..]
# h12o [むしろ現 (以下検閲削除)。orz]
# yuco [>shiroさん うーむ、面白いです。コメントありがとうございます。 お芝居については、これ↓を思い出しました。 h..]
# yuco [http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.youtube.com/watch?v..]
2006-09-22 (Fri) [長年日記]
#1 「六次の隔たり」の誤解
ポイント:SNSでよく引き合いに出される「世界中のどんな人も、6人の知り合いを介して繋がっている」という説には、根拠がない。
以下がWikipediaを起点に追跡してみた結果。
GREEというネーミングは、1960年代後半に提唱された社会学の「Six Degrees of Separation」理論の一部から取ったものです。これは「6次の隔たり」とも呼ばれ、世界中の人間は6次の友達関係を通じて全て繋がっているとする考え方のことです。(強調はyucoによる)
GREEに限らず、SNSの解説にありがちな文章だが、これは間違っている、というか証明されていない。
ミルグラムは実験結果を示した論文『The small world problem』(1967年)で、“平均5.5人が仲介によって手紙が届いた”ことを報告したが、“世界中の人々が6人(5人の仲介者)でつながっている”というような主張はしていない。
というのは、結局届かなかった手紙が多かったからだ。
六次の隔たり(ろくじのへだたり、Six Degrees of Separations)とは、人は自分の知り合いを6人以上介すと世界中の人々と間接的な知り合いになれる、という統計学の法則である。
Wikipediaでも、のっけからこう書かれているが、実証されているわけではないので「法則」とまでは言えないんじゃないかと。以下の実験によって「証明された」なんて言ってしまっていいのか?(注:その後、Wikipedia日本版の記述は修正され、現在は「仮説」となっている)
ハーバード大学の心理学者のスタンレー・ミルグラム教授(Dr.Stanley Milgram)が1967年に実施した実験によって証明された。ミルグラムはネブラスカ州オマハの住人160人を無作為に選び、「同封した写真の人物はボストン在住の株式仲買人です。この顔と名前の人物をご存知でしたらその人の元へこの手紙をお送り下さい。この人を知らない場合は貴方の住所氏名を書き加えた上で、貴方の友人の中で知っていそうな人にこの手紙を送って下さい」という文面の手紙をそれぞれに送った。その結果42通(26.25%)が実際に届き、届くまでに経た人数は平均5.83人であった。因みにミルグラムは追試に失敗している。
手紙が届いた人の平均は約6人だったといっても、そもそも全体のうち7割以上の手紙は届かなかったのだから、どうみても「世界中の人が6人でつながっている」とは言えない。
「Wikipediaなんだから、自分で直せば?」と言われそうだが、どういじっていいのかわからない……。上記のGREEの例にもあるように、「世界中の人は6人でつながっている」という“考え方”(それが正しいかどうかはさておき)が広まっているのは本当だと思うからだ。
しかし、その根拠とされている実験をよく見ると、とてもそれを証明しているようには思えず、@ITによると、実験した学者自身もそんな主張はしていない。
……というのが私が今まで大ざっぱに理解していたことなんだけど、アメリカで行われた実験について、出典が明らかでない日本語の資料だけでものを言っても本当は意味がないわけで。
続き:英語の文献にもあたってみる
最初にhypothesis(仮説)であると断っているうえ、「still remains an open question.」と、その後の実験でも証明されていないと書いてある。
ミルグラムの実験については、Wikipedia日本語版よりもっと厳しい結果になっている。
Milgram's celebrated 1967 [1](pdf) refers to the fact that one of the letters in this initial experiment reached the recipient in just four days, but neglects to mention that only 5% of the letters successfully "connected" to their target.
手紙はたった5%しか届かず、しかもミルグラムはそのことを伏せていたという。(文中にリンクされているPDFは論文というより雑誌のエッセイのようだけど、未読)
こちらも見てみる。この項目は「This article or section is in need of attention from an expert on the subject.」ということで、専門家によって内容に疑義が呈されているらしいので、そのつもりで読む。
ここでは、ミルグラムの実験は
80% of the successfully delivered packages were delivered after four or fewer steps. Almost all the chains were less than six steps.
8割以上は4以下のステップで届き、6ステップ以下でほとんど全部が届いたと、非常に良い結果となっている。
しかし、これがアラスカ・フェアバンクス大学のJudith Kleinfield教授による『Could it be a big world?』によって批判された。
『Connecting with people in six steps - BBC News』によると、届いた手紙は実際のところ5%程度だったことがわかったのは、Kleinfield教授の上記の調査によるという。Kleinfield教授は、「『六次の隔たり』は魅力的な考え方だけど、実際には人種や階級によって人間関係のかたまりがあるから、そんなに単純ではない」と言っている。
コロンビア大学のSmall World Projectでは、ミルグラムの実験とそれに対するKleinfield教授の批判を踏まえて、メールを使って同じ実験を試みている。
……というわけで、英語で調べたけれども、相変わらずネットだけで原典にはあたっていない。でも、WikipediaだけではなくBBCや大学の記事も見つかったし、『Could it be a big world?』をちゃんと読めば(まだ読めてない)、この件について今の時点での主な考え方は把握できそう。
『Could it be a big world?』を(ざっとだけど)読んだ
上にも書いたように、「実際は『切れてしまうつながり』がかなり多く、ミルグラム実験は『六次の隔たり』をきちんと証明するものではない」ということのほかに、
- 白人からはじめて白人につなげるネットワークの方が、白人からはじめて黒人につなげるよりもつながりやすい、という実験結果が出た。つまり「人種ごとの人間関係のかたまり」が存在する
- ミルグラム実験に根拠はないが、「六次の隔たり」を信じたいと思う人間心理は興味深い
- 手紙を使わずに電話を使って同様な実験をした人もいる(結果についてはよくわからない)
など。きっちり読んでないので見落としはありそう。
#2 『リーディングス ネットワーク論』
fairaさんのコメントで、ミルグラム実験の和訳が読めるということを知りました。
第1章 ノルウェーの一島内教区における階級と委員会……J.A.バーンズ(野沢慎司・立山徳子訳)
第2章 都市の家族──夫婦役割と社会的ネットワーク……エリザベス・ボット(野沢慎司訳)
第3章 小さな世界問題……スタンレー・ミルグラム(野沢慎司・大岡栄美訳)
第4章 弱い紐帯の強さ……マーク・S・グラノヴェター(大岡栄美訳)
第5章 コミュニティ問題──イースト・ヨーク住民の親密なネットワーク……バリー・ウェルマン(野沢慎司・立山徳子訳)
第6章 人的資本の形成における社会関係資本……ジェームズ・S・コールマン(金光淳訳)
第7章 社会関係資本をもたらすのは構造的隙間か ネットワーク閉鎖性か……ロナルド・S・バート(金光淳訳)
というわけで、第3章に載ってますね。ネットワーク関連の有名な論文が揃っているようなので、読んでみようかなー。
#3 SNSで「六次の隔たり」の検証なるか
ミルグラム実験は60年代に行われたものだ。当時と違って、インターネット時代なら、この調査がもっと簡単にできそうだということはみんな考えつきそう。
上記にも書いたけど、コロンビア大学の実験では、手紙の代わりにメールを使う。でも、そのものずばりSNSを使った調査があれば一番いいのに、と思う。
「mixiという幻想の共和国、そこは内ではなく外である - ガ島通信」経由で知ったのだけど、インターネットマガジン 2006年1月号に、「拡大するSNS、凝縮する世界 −科学で読み解くmixiのネットワーク構造−」という記事があり、
マイミクを6つたどればユーザー全体の96%に到達できる小さい世界であるとのことです(ちなみにマイミクの平均は20人で、4人以下のユーザーが40%いる)
とのこと(『ガ島通信』からの孫引き)。これが2005年末のmixiの状態だと思われるので、現在のmixiだとどうなっているか知りたいところ。
# yuco [ありがとうございます。「弱い紐帯」も確かに有名ですよね。また読みたい本が増えてしまった…。この本、今年の8月に出たば..]
# ゆきち [Wikipedia、全面改稿しちゃっていいっす(w]
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2006-09-23 (Sat) [長年日記]
#1 菊地成孔3DAYS(with 南博)@新宿ピットイン
菊地成孔も書いているけど、立ち見は辛いです。もちろんミュージシャンの責任ではなく、ピットインが欲を出しすぎという話。
「立ち見である旨説明申し上げても、それでもチケットをお求めに成る方ばかり。」とピットイン側の人は説明したらしいけど、私はピットインはじめてだし、チケットぴあで買ったので、チケットについている番号の意味も知らなかった(発券順に番号がつき、番号が若ければ座れる可能性が高い。mixi菊地コミュによると70番台くらいまでは座れるらしいが、私は200番くらいなので絶望的)。
まあ、始まる前は「立ち見になるくらいなら来なかったのに〜」と思っていても、終わると立ち見の辛さは忘れて「聴けてよかった」と思ってしまうわけであります。
でも、私の2メートルくらい後ろでぶっ倒れる人はいたし、立ち見の状態でタバコを吸う人もいて、喫煙は許可されているんだろうけど、人口密度的には危険だな〜と思った。
演奏は南博とのもので、曲目はスタンダード、即興、そして南博の最新のアルバム(プロデューサーは菊地成孔)『Elegy』、その前の『Touches&Velvets』から。9/16に出たばかりの『Elegy』を買ってくれと言っていたけど(会場でも売っていたようだけど、すごい人ごみなので面倒で買わなかった)、Amazonで買っちゃいそうだな〜。
菊地成孔の演奏が聴きたければ、もっと大きい箱での着席のコンサートはあるのだけど、ぜんぶ平日なんだよね〜。平日の夜は仕事があるので無理、という社会人はどうしろというのか。土日に着席できるコンサートがあれば、チケット高くても行くのに。
菊地成孔3DAYS(KQLD with 万波麻希)@新宿ピットイン(9/24)
「どうせ立ち見だしな〜」と家でダラダラしていたのと、家でやらなきゃいけないことがあったのを忘れていたのもあって、8時スタートのものを遅刻して9時過ぎに着いたら、前日を上回る立ち見密度の高さに驚いた。いくらなんでもこりゃないでしょう。着いたときには、演奏は前半が終わるちょっと前くらいのところで、後半からは万波麻希が登場。
万波麻希のライブは今までに何度か見ているけど、そんなによくしゃべる人ではないし、ブログを書いたりもしないので、どういう性格なのかいまいち分からなかったのだけど、
ワタシのディーヴァは、今の所カヒミ姫とUA姫と小島麻由美姫、そして男根が欲しくてたまらない万波マッキー
なんて書かれているくらい、ライブでも菊地さんに下ネタでからかわれて返したりしていて、ボーイッシュな人なんだなぁと。
ライブでは「一緒に仕事をした女性ヴォーカリストはみんな『姫』だけど、万波さんは友達みたいだよね〜」と言われていた。個人的にはこういう女性は好き。
ヴォーカリストとしては、今回スタンダードを何曲か歌っていて、私ははじめて見たので新鮮ではあった。でも、この人高音は伸びて響くんだけど、低音が足りないので低い声で歌う曲はちょっと迫力不足かな。以下の曲のうち、万波さんのオリジナル曲と『ナイーマ』が歌と本人が似合う感じでよかった。
『ナイーマ』をどこかで聴けないかなぁと探していて、万波さんのアルバムにも入っていないし、コルトレーンの曲ならコルトレーンで探そうと、『Giant Steps』に入っているのを発見。
- 後半部のセットリスト(菊地成孔東大ゼミ非公式掲示板より)
ディスガイス(万波オリジナル)
雨の日も名人は命中させる(菊地オリジナル)
ルックオブラブ(バカラック)
マイワンアンドオンリーラブ(スタンダード)
キスへの前奏曲(スタンダード)
ナイーマ(コルトレーン)
アンコール:Keep it a secret(菊地オリジナル)
菊地さんのしゃべりは2日間で重複しているのもかなりあったんだけど、2日とも「いい本だから」と薦めていたのがこの『ジャズ詩大全』。著者のページでは「待望の17巻が発売!」とやっているけど、Amazonで探したらすでに19巻が出ていた。既存のジャズ詩の誤訳をあばく!的な内容だそうで、面白そうなんだけど、プロのミュージシャンならともかく素人に19巻はつらい……。ダイジェスト版とか出ないかなぁ。
2006-09-29 (Fri) [長年日記]
#1 『audrey style』と『the audrey hepburn treasures』
最近あちこちの書店で見かける『the audrey hepburn treasures』が気になるんだけど、さすがに7000円もするとなかなか買う勇気が出ないので(しかも、評伝と写真はいいとして、その他のオマケは別にいらんよ)、世の中にあまたあるオードリー本の中で出来がよさそうな(と、アマゾンのレビューを見て判断)『audrey style』を古本で買ってみた。
写真の多い大判の本で、伝記的記述はファッション寄り(ジバンシーとの交流とか)を重めに、その他の面については割とあっさりという感じだが、全体として満足できた。
ファッションのことばかり注目されがちだけど、謙虚で努力家で誠実で賢い、ヘプバーンって美徳がサブリナ・パンツ穿いて歩いてるような人だと思う。
というのは本書を読んでも感じることで、本当に悪いところがないというか美徳のかたまりのような人。これはよっぽどメディアをコントロールしているのか、本当に良い人なのかどっちかなのだろうけど、もうとっくに亡くなった人なのに悪い話も出ないというところからみても、後者なのだろう。
……なんてことを考えながら電車に乗っていたら『オードリー通勤』なる言葉を吊り広告で見てびっくり。「360°全方位愛され系」って、そんなに愛に飢えてるんですか!


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