2006-04-13 (Thu) [長年日記]
#1 コンテンツを作ることで収入を得ることは可能か、それによって内容に影響は出るか(特に報道関連)
表題のようなことが、今までネットで*1延々と話し合われてきたと思う。これは現時点での自分なりのざっくりとしたまとめ。
なお、これもまたよく言われていることだが「実際には、人間の習慣とか常識とかビジネス的しがらみとかで、技術的に可能であることがすべてすぐにその通りになるわけではない」というのもあるが、今回はそれは抜きにして考える。
湯川氏のポッドキャスティングでR30氏が言っていたことだが、もうテキストを書いて(あるいは他の何らかのコンテンツを作って)収入を得るというのは無理なのか。配布コストがほぼ無料のインターネットで、「金を払わないとコンテンツを見せない」という姿勢は、「話題になって欲しい」という性質を持つコンテンツについては明らかに不利だ(参考:Life is beautiful:せっかく釣ったニジマスは、家に持ち帰って燻製にして近所の人に配ってこそ価値がある―とくに「ザ・サーチ」からの引用部分)。
R30氏が言うように、広告で儲けるかまたはイベント等に集客してそこでお金を取るのが現実的な方法なんだろうか。ついでにそれ以外の集金可能性も考えてみる。
イベントで儲ける
これは経済学者のクルーグマンが未来予測として書いていることと重なる。
幸運なことに、知識そのものから直接利益を得ることを不可能にしたその同じ技術が、名声の機会を増やしてくれることにもなった。500 チャンネルの世界には多数のサブカルチャーがあって、それぞれが自前の文化ヒーローを持ってる。歌姫相手だけでなく、ジャーナリストや詩人、数学者、果ては経済学者なんかと、直接対面する興奮のために金を払おうという人はいる。
この文章は、上記以外の部分も技術の高度化などが示す未来予測として非常に面白いのでお勧め。
広告で儲ける(アフィリエイトを含む)
アドセンスは本文の内容が薄い方がクリックされやすいということは、別にアドセンスに限らず、一般のバナー広告などにも同じことが言えないだろうか。質の高いコンテンツは、コンテンツそのものに集中してしまうため、広告に目が行かない。かといって、質の低いコンテンツだったらそもそも定期的に読もうと思わない。それでも、検索でうっかり迷い込むことはあるだろう。
そもそも、以前から書いているように「何かを読んで頭を働かせる心の動き」と「何かを買おうとする心の動き」というのは、本来別物なのではないかというのが私の意見だ。今まではメディアが少なかったからこの2者をセットにするという商売が成り立ったけど、インターネット上に作ることができるページの数は無限大だ。であれば「読み物としては良質だが、広告を貼っても効果が薄いページ」「読み物としての価値はない(少ない)が、そこから購買行動が起こるページ」の2つに分かれても不思議ではないと思うのだ。
これが結びつくのは「良い書評を読んでその本を買う気になったのでアマゾンのアソシエイトリンクでその本を買った」というような場合だが、これはかなり例外的ではないか。
これからのウェブでニュースを流す組織には、「質を高くしすぎない工夫」「広告も適度に見たくなるようなコンテンツ」「購買に結びつきやすい(けなさない)レビュー記事の充実」なんてものが求められてしまうんだろうか(最後のはすでにかなり実現しているけどね)。それ一本やりでは、働いている人は誇りをもてないよね。だったらもう「広告業です」ってことで、はじめからスポンサーつけて広告記事を作ればいいんじゃないかと思わなくもない。
追記(2006/04/17):同じ広告でもブランディングを目的にした、知名度向上が目的で直接の購買に結びつかない広告ならいいのかもね。ただそのためには大きなページビューか、特定の層に非常に強い(そしてその層がほしがる商品がある)という条件を満たすことが必要かも。
薄く広く取る
NHKの受信料みたいなものだ。家にテレビがあればNHKを見なくても受信料を払うように、家にインターネット接続のあるパソコンがあれば「コンテンツ享受料」みたいなものを払う。
これは国レベルとか相当大きなレベルで実行する必要がある上に、個人サイトも含めて分配するのは非常に難しい。そもそも支払いは、アクセス数に応じて払うんだろうか?その場合、コンテンツに興味があったアクセスと、広告により誘導されてきたアクセスをどうやって区別する?
『デジタル音楽の行方』という本では、音楽についてこれが起こるとしている。音楽サービスだけに限定すれば、分配は可能かも。その他ライブとも組み合わせ可能だし。
寄付に頼る
アメリカだと、何らかの活動をしていて、ブログを書いていることはその主たる活動の報告であり「私がやっている、この活動が社会的に意味があるものだと思ったら寄付してください」というのが成り立つみたいだ。民主党の大統領候補選挙(だっけか?)に出ようとしたなんとかって人とか、イラクに取材に行ったジャーナリストとか。
日本でこれが成り立っているという話は聞いたことがない。
最新記事は無料、過去ログデータベースは金を取る
過去ログを必要とする人がどのくらいいるかによる。
マーケットが広い日本語圏より英語圏、それも過去の蓄積が多いところほど有利だ。NY Timesなんかはこの手法をとっているが、すべてオンラインに移行した場合経済的に成り立つのかどうかは知らない。
以上すべては専業ジャーナリストを雇うには資金不足で、経済的には成立しない
となると、以下のようになるんだろうか。
ネットの世界は万人の万人に対するフカシ状態という自然状態
そもそも、広告とかイベントに人を呼ぼうとするというのもコンテンツが主ではないのだから、ある種のフカシだといえなくもない。
たとえば、今までR30氏のブログを愛読していたら、「ソフトバンクがボーダフォンを買収したというのは重大なニュースだ」と書いてあったから「なるほどそうなのか」と思った、そうしたらR30氏はそれを論じる有料のイベントを運営していた。もしこのイベントがなければ「ソフトバンクがボーダフォンを買収しようと、別にたいした問題じゃないよ」と書いていたのではないか?と疑いを持つ、というようなことだ*2。
あるいは、自営業の人が時事問題の解説を自分の専門知識を盛り込んで書くとする。趣味と自己PR(自分を広告する)という実益を兼ねるということになり、しかもそれは下手すると新聞の社説より質が高いかもしれないんだけど、知らず知らずのうちに自分のポジションに有利な書き方をしている可能性がある。それを言ったら新聞社だって自社に有利なように書いているんじゃないかとも言えるが…。


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> 本文中の「ある人」=菊地成孔<br><br>そうは確定できないのでは? もしかすると、菊地さん以外かもしれないし。まあ、今のところ、菊地さんがいちばん近い位置にあるけど。
「夏」とあるので9割方菊池さんかなぁと思いますです。