2005-05-26 (Thu) [長年日記]
#1 そろそろ、m.e.s.h.に始まる「自分の周りだけが"ブログ界"全体だと思う症候群」に名前をつけた方がいいような気がする
と言ったら、「そういう連中はm.e.s.h.がはじめじゃないよ! 全く近頃の若者は自分の知る範囲だけが全部だと思いやがって」とか反論されたらどうしよう。
根本的にはネット活動には国勢調査とかGNPとかそういうものがないし、マスコミの取り上げ方もかなり偏っているので、全体が見えないってことだと思う。
たとえば私は、ガ島通信の人よりはネットを見ている範囲も期間も長いと思うが、もっとたくさん見ている人も大勢いる。しかし全てを見ろと言っても無理な話なので、「『とりあえずこれ読め』と言える共通認識」ってのはあった方がいいよなあと思う。
それを目指しているのが『教科書には(ry』ISBN:4798106577 なんだろうけど、時事・社会問題系はあんまりフォローされてないしなあ。
みんな自分の周りの文化圏に名前をつけて、たとえばガ島通信なら「ブログの終わり」ではなく「アルファブロガーの終わり」と書けば通じやすい。でもそういう「名づけ」こそ、そこそこ広い範囲を見ていないとできないことなんだよなあ。
#2 専門分野の執筆センスと「ブログ論」をするセンスは別物
R30:ブログブームの終わりとかガ島通信:「ブログ」の終焉をみていて思うのは、専門分野の能力や分析力、執筆力は高い人たちなんだけど、(仮に日本語限定としても)ほんとうに様々な人が相互に影響を及ぼしながらいろいろなことを書いているネット全体の中で、自分たちのブログを位置づけるという能力に欠けているのかなという気がする。相互の影響というのは、ネット上のやり取りだけではなく、会うことも含まれる。もちろん会って話すことのほうがインパクトが大きいのは言うまでもない。
そしてそれが欠けている人がブログ全体(ブログ論ってそういうことでしょ?)を語っても的外れにしかならないというか。
上記の意見は、そういう意味ではネット全体と自分の位置づけが見えている人の文章だと思う。
が、いきなりブログ界全体を巻き込むようなタイトル「『ブログ』の終焉」はないんじゃないかと。単なる煽りであり、本質的にはどうでもいいポイントではあるけど。
しかし、私にはここがどうでもよくないポイントのように思える。
社会性というのは、ひとことでいうと、「システムがどういうふうに機能しているか、だいたい見当が付く」能力のことである。 よく使う図書館の比喩を使わせて頂ければ、「自分が読んだ本」(それがどれほどささやかなものであれ)が図書館のどの階のどの棚に配架されているかを知っていることを社会性という。
このたとえで言うと、難しい本をたくさん読んでいて知識はあるけど、自分が読んだ本だけが図書館にある書籍のすべてだと思っていそうに見えるというか、図書館全体の本なんてひとりの人間に到底読みきれるものではないということに気づいていないというか。
前から感じていたこととして、gooやyahoo系のblogサービスを使ってる人は同じサービス内、または同じようなサービス内でのみTrackbackを使うことが多いということがある。 gooやyahoo、はてなでも何でもいいが、結局は企業によるユーザーの囲い込みだけに終わってしまって..
ARTIFACT ―人工事実― | ホイチョイがblogと言い出せばblogブームも本物だ を書いたのを思い出しました。2003年5月に書いたものなんですが、この頃が一番ブログ論を書いていた時期でした。さて、最近ブログ話の認識が2年ぐらい前に戻っているという恐ろしい事実が判明し..


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