2004-06-24 (Thu) [長年日記]
#1 野地秩嘉『キャンティ物語』(幻冬舎文庫)
1960年に開店し、三島由紀夫、黛敏郎、黒澤明、加賀まりこ、安井かずみ、萩原健一などの文化人、芸能人が集まったレストラン「キャンティ」のオーナー川添浩史・梶子夫妻の生涯。
華族出身の川添浩史は、若い頃から文化・芸術に強い興味があり、第二次世界大戦直前のパリに長期滞在していた。学校に通っていたわけでもなく、大半は遊んでいたが、その間に当時まだ売り出し中のヨーロッパの芸術家や日本人留学生と知り合い、その後の仕事に生きてくることになる。とくに親しかったのが、当時まだ無名だったカメラマンのロバート・キャパだ。
戦後になってからは、日本の文化を海外に紹介する、プロモーターや広告代理店的な仕事をした。彼の適性も、ヨーロッパ生活などを通して手にした経験と人脈もそういう仕事にはぴったりだったようだが、仕事は採算度外視のものも多く、最終的には川添家の財産を食いつぶしてしまった。
そのかたわらでイタリア帰りの妻・梶子と経営していたのがイタリアンレストラン「キャンティ」だ。当時、ごく一部の人しか実際に見ることができなかった、ヨーロッパ文化を知る人が集まる店として流行の発信地になった。客は川添夫妻の友人が多く、自由に席を立って交流したりサロン的な雰囲気があった。
海外と接点のある日本人が希少な時代に、川添浩史・梶子夫妻には海外の文化人との人脈があり、ヨーロッパ文化の教養があり、周りの人々に慕われる人間性もあった。上流家庭に生まれて、したいことを思いきりやって国際的な人脈を広げ、それをビジネス(といってもトータルでは儲からない)に生かすという、生まれとお金がないとちょっと真似できない世界を覗ける本。敗戦後から60年代くらいまで、日本が欧米文化を競って取り入れた時代の雰囲気もわかる。
巻末の解説を書いているのは、本書の版元である幻冬舎社長の見城徹。「僕にとってもキャンティは真夜中の学校だった。」と述べている。この解説は幻冬舎のサイトで読める。
関連リンク集
- 幻冬舎社長・見城徹による『キャンティ物語』解説
- 同じく見城徹による常連だった作詞家の安井かずみへの追悼文
- ライターの山崎まどかによる書評
- キャンティ公式サイト内、本書中のオープンの頃の記述
- 常連だったムッシュかまやつの対談
# パリノルール blog:日テレ「あの日にかえりたい」でカルダンにインタビュー 60年代、文化人・芸能人の溜り場だった六本木のイタリアン・レス..
2004-06-23 (Wed) [長年日記]
#1 橋本治『上司は思いつきでものを言う』(集英社新書)
「はじめに」より。
ふと立ち寄った本屋の店頭で『上司は思いつきでものを言う』の一行に出会ったら、「おおお……」とうなる人はいくらでもいるでしょう。「自分はもう、暗い孤独な愚痴の中でそれを言って、自虐の泥沼に沈まなくてもよいのだ」と思う人も出て来るはずです。それが日本の活性化につながることだと思って、私はこのタイトルを選びました。
2chの橋本治スレによると、10万部売れたらしい。私のように、本屋で見たとたんに「橋本治でこのタイトルなら買いだ!」と、速攻レジに向かった人も多いだろう。
上司が思いつきでものを言う原因は、今までやってきたことへの否定から自分を守りたいからだ。「今までのやり方は古いんです」という、建設的でまっとうな部下の指摘を受け入れることができない。そして「思いつき」としか呼べないような、自分のメンツを潰さないことだけが取り柄のどうでもいいアイデアを「これがいい!」と言ってしまう。
そして部下は、それがくだらないアイデアであることに気づいても何も言えなかったり、悪いときには自分が間違っているのだと思ってしまう。これは、元をたどれば日本人にしみついた儒教道徳による上下関係のせいだ。部下は、上司が思いつきでものを言ってきたら遠慮なく「(゚Д゚)ハァ?」と呆れましょう。そうしてそれが「レベルの低い思いつき」であることを悟らせるしかないのです――というのが本書のおおざっぱな内容。
経済学や経営学の専門用語を使わずに「起業から現場(平社員・下請け業者・市場)が痩せてくるまで」を描写したりするところなど、いかにも橋本治である。最後の一章は、天皇制とか冠位十二階なんかを持ってきて日本人の持つ「上下関係感覚」の起源を語る、思想史っぽい内容。Amazon.co.jpの書評を見ると賛否両論だが、リーマンうけ抜群(笑)のタイトルに惹かれて買ってみたが、橋本治的なたとえと論理の持って行きかたに抵抗がある人もいるのだろうなぁ。
# PukiWiki/TrackBack 0.1:【書名】 上司は思いつきでものを言う [一覧] 書籍一覧 【書誌目次情報】上司は思いつきでものを言う..
2004-06-22 (Tue) [長年日記]
#1 ラッセル・ロバーツ『インビジブル・ハート』(日本評論社)
id:svnseedsさんのところ経由で知った。経済学の考え方を恋愛小説のかたちで読ませる、非常に読みやすい本。
bk1.jpの紹介文にはこうある。
規制は不要・有害、ビジネスでの成功は美徳だと信ずるサム。ワーズワースを愛し、資本主義は横暴だと考えるローラ。2人は違いを乗り超え、結ばれるか?
このふたりは同僚の高校教師で、サムは、資本主義、市場主義がいかによくできたシステムであるか、それに賛成できないローラと議論しながら親密になる。
これを一冊読んで、物事に対して「サムならこう考える」という発想ができれば、一つの考え方(経済学のなかでも、特に政府による介入を排する流派らしい*1)が身につく。これは、経済学を考えるときのひとつの典型的な立場なので、押さえておいて損はないのだろう。
本書を書いているのがサムの立場を信じる人だからか、ローラの言い方(もっと福祉を、委員会を作って誰かが見張って、etc.)はとても類型的に感じる。逆に、この本によって説得されてしまうような問題点は、最低限ちゃんと踏まえてから議論したいものだ。
また、「企業が悪いことをすれば、短期的には得でも長期的には評判が下がるから損だ」という。しかしその「短期」のあいだに様々な問題が起こることはサムも認めている。そこを規制でフォローするのだという考え方は依然として残るのでは。
時間の問題を抜きにしても、ほんとうに消費者がすべてを知って合理的に判断できるのか、という問題もある。サムの考え方では「特定の人が判断すると、その人がダメな奴だった場合、より悪くなる」あるいは「そもそも他人になにか決められることそのものが嫌だ」と反論されそうだが、それは極論だと思う。実際に、専門家が妥当な判断をして世の中回っている部分もあるだろうし、規則を守らせるためのコストが増えるのが良くないとしても、程度問題だろう。
人間よりも、市場の見えざる手*2に任せた方が良い結果が出る、というのは性悪説なんだなと思った。共産主義は、もし構成員がすべて善人なら上手くいっただろうと言われるが、その逆か。
それから、福祉を国営と民営の場合を比較する議論があったが、いまいち分かりづらかった。私の理解不足もあるだろうが、サムの議論の弱みはこのへんにもありそうだ。あとでまた読もう。
サムは、エアバッグやシートベルトも法律で強制すべきではないと考えていて、安全対策を怠ったせいで大怪我した人の医療費を国民が負担することはないと言っている。一方ローラはそれらを義務付けた上で、医療費は国民で負担するべきと言っている。
このへん、イラク人質事件でのかみ合わなかった議論と関係があるだろう。ただ、イラクの件ではどのレベルまでの安全対策が必要なのかというコンセンサスが事前になかったこと、人質にとるという積極的な犯罪行為の犠牲者であることの違いがあると私は思っている。が、この件についてサム的な立場の人は違いはないと考えるのだろう。
サムは、その反対者に「アイン・ランドの一派」と言われてしまうのね。アメリカ文化について知らなくてもそれなりに読めるけど、少し知識があるとより楽しめると思った。
資本主義に疑問を呈するローラが、成功した弁護士の家庭の娘(多分アングロ・サクソン)で親戚も成功者でインテリ、サムは、それほど裕福ではないユダヤ系で、ローラの家のパーティにひけめを感じる、という設定は、アメリカ人からみてリアリティを感じるものなのだろうか。
最後に、その日はじめてキスをするような、これから親しくなろうとする男女がアパートで一緒に食べるのがニンニク入りのチャーハンというのはどうかと思うぞ(笑)
- http://www.invisibleheart.com/ (英語版公式)
- http://cafehayek.typepad.com/hayek/ (著者のblog)
2004-06-21 (Mon) [長年日記]
#1 はてなとtDiaryのコメント欄
私も、はてなダイアリーでの長文コメントのやり取りをしばしば見かけるので、コメント欄の仕様は良くないなぁということは前から思ってました。
はてなのコメント欄がtextareaタグではなくinputタグなのは、tDiaryの思想である「ツッコミは短く鋭く愛を込めて」(ただのにっき(2002-04-17)より)を多分受け継いでいるのでしょう。
ところが、tDiaryのコメント欄はtextareaなんですよね。たださん個人は「ツッコミは短く鋭く愛を込めて」という見解を持っているとしても、tDiaryは長文コメントの入力にも不自由しないし、コメントが長くても、コメント欄の見た目もそれなりに見やすいものになっていると思う。(一例)
ところで、今のコメント欄の仕様は、はてなダイアリー運営者の意図的な誘導なのだろうか。
いくら入力エリアをinputタグで一行にして、コメントを短くしようと誘導しても、上のリンク例を見れば、関係のない人には関係ないというのがわかります。こういう状況がイヤな人向けに、入力欄での誘導だけではなく、文字数制限の機能も必要なのかもしれません。
上のように、はてな側はコメントを短くさせたいのだろう、という解釈もできる。でも、「はてなダイアリーキーワード」や「おとなり日記」などで利用者同士のコミュニケーションを促進する意図がある、ということを考えると、長いコメントでも入力しやすく、見やすくすることだってその目的にかないそう。
実際に、テキストエディタを使ってでも長文コメントを入力している人がいること、入力欄を広げても短いコメントにとってもマイナスではないことを考えると、もうちょっと入力欄を広げればよいのに、と思う。
コメント欄の見た目の話をすると、はてなダイアリーでは、tDiaryのスタイルシートをあてている。しかし、コメントが短縮して表示される、tDiaryの「一覧表示」だけに対応する部分だけが使われていて、コメントが改行などを含めて全部表示される「日別表示」は使われていない(はてなダイアリーも日別表示はするが、tDiaryのそれに対応するHTMLを吐き出していない)。スタイルシート作者も、一覧表示ではコメントがついているということが分かればよい、という程度に、つめ気味で表示し、日別表示でもっとゆったり見せようとしているのではないかと思うのだが、日別表示の方ははてなダイアリーでは使われていないのだ。
コメント欄の比較
| はてなダイアリーのコメント欄 | tDiary(と他のweb日記/weblogツールの多く)のコメント欄 |
| 入力欄が一行(上記引用中のinputタグ) | 数行(textarea) |
| <br>タグを入れないと改行ができない(段落を区切りたいときには、新聞のように▼で区切るのをよく見かける。でも、同じことを入力欄での改行でできれば、その方が便利だし見やすい) | コメント欄で改行入力すれば、表示も改行される |
| 常にすべてのコメントの全文が表示される(コメントが多いor長い場合、日記本文だけを読みたいときにはスクロールが大変) | tDiary:一覧表示ではコメントの件数(5件以内など、自分で指定できる)文字数制限をして一部だけ表示 MTなど:一切表示されず、コメントページへのリンクのみ(プラグインで一部表示にもできる) |
追記(2004/07/25)
はてなのオフ会でダイアリーへの機能要望も受け付けたという話らしいが、コメント欄のことは特に要望されていなかった模様。実は、不便に感じている人はあまりいないのかな。逆に、AreaEditorみたいなものが普及すれば、カーソルを合わせる場所だけがあればよくて、大きなコメント欄など不要という考え方になるのかもしれない。
#2 I know. (weblog風見た目のアンテナ)
まるでMovableType系のような見た目のアンテナ。→サンプル
Wikiもアンテナも、見た目をweblog系にする時代?
IDとパスワードを決めるだけで登録できるので、ためしに作ってみた。
RSSを使うのではなく、捕捉先のテキストの差分を検出する、はてなアンテナと同じタイプ。ただし、A HREFタグも拾ってくれる。
軽く使ってみた特徴はこんな感じ。
- アンテナから、捕捉先がリンクしている先に直接飛べる。ニュースクリッピング系のサイトをチェックするには特に便利。
- はてなアンテナのように、他人と同じ更新チェック範囲で使う必要はない。他人がすでに決めた更新チェック範囲があるときは、それに従ってもよい。
- サイドバーにGoogle Adsenseが出る(これはアンテナ利用者本人にクリックさせるためには、うまい手かも)
追記(2004/6/22)
- 登録インターフェイスは、はてなアンテナよりよくできていると思う
- デフォルトデザインがかわいい。他にも、2ちゃんねる風などのデザインを選べる。私が6/22現在使っている、willっていうのがある。これはtDiaryのwillテーマだなぁ
- その他「アンテナを自動更新しない」モードなど、「設定」でいろいろいじれる
- 最初に「利用規約を読んで登録してください」とあるが、
利用規約はまだできていないらしい(「I knowの中の人」も発言しているコメント欄も参照)
追記(2004/6/26)
- スタイルシートについては、このページにまとめられています。
TypePad、Movable Type 3.xのCSSがそのまま利用できるようになっていますが、Movable Type 2.x用のCSSが指定された場合は生成されるhtmlはMovable Type 2.x互換のものになります。
tDiary用のThemeも使えるかもしれません。
- 利用規約ができています。
- このアンテナはbloxsomをベースにしているわけではないのでは?ヘルプページには "Powered by blosxom 2.0" という表示がありますが、アンテナページには特になにも書いていないので。
from 本日のリンク元
#3 Technorati(言及情報)
リンク元にこういうのが来てた。「せかいのまんなか」みたいな、言及情報を調べて見せてくれるサービスらしいが、「今日のリンク元」を拾っちゃうのはいまいち良くないなぁ。
そういえば、各地にpingを送るようになってから、こういう名前のbotも来ていたなぁと思い、リンク元を見せないbotの追加をした。
いまのtdiary.confはこんな感じ。
@options['bot'] = [ '^msnbot/', '^Openbot/', '^FAST-WebCrawler/', '^(Naverbot|Cowbot)-', '^Yahoo! Slurp', '^Technoratibot/']
Technorati関連情報。
- http://www.goodpic.com/mt/archives/000030.html
- http://blog.japan.cnet.com/watanabe/archives/001253.html
そしてこの日記の言及情報。
from ウェブロスレ@山田BBS
#4 ウィキちゃん改めMeタソ
あのウィキちゃん(?)がかなり強引にめがねっこ対応。(要望してた人)
# 試行錯誤の日常-trial and error-:[Web]I know.続報。 中の人よりツッコミいただきました。利用規約が出来たそうです。..
2004-06-20 (Sun) [長年日記]
#1 原武史『大正天皇』(朝日選書)
戦後初めての「大正天皇」をテーマにした単行本でそうだ。今まで、明治・昭和両天皇の研究の豊富さに比べて、大正天皇に関する研究はほとんどされてこなかったという。
あとがきでは、大正天皇の人生についてこう要約している。
側室の子として生まれ、肉親からまともな愛情を受けないまま、病気を繰り返した幼少期。有栖川宮というこの上ない理解者を得て全国を回り、健康が回復するとともに、自由奔放な振る舞いを見せた皇太子時代。そして明治天皇の「遺産」という重圧と闘いながら、次第に病状を悪化させていった天皇時代――
オビには『「遠眼鏡事件」は真実か?』とある。私は知らなかったが、「遠眼鏡事件」は、大正天皇が、国会で読み終わった詔書を丸めて望遠鏡のようにして周りを見ていた、というエピソードだ。脳障害のせいで奇妙な行動を取っていたことの例として、ある年齢以上の人なら「必ず思い出す逸話(p.5)」で、一般的な大正天皇のイメージとして広まっているようだ。
本書ではこの事件について、現在残っている証言の食い違いが大きいことなどを理由に、「果たしてこの事件が本当にあったのかという疑念を抱かせるに充分なものである」とした。そして、そのようなイメージをくつがえすような、元気で快活であった皇太子時代〜即位後まもなくまでの大正天皇の行動を中心に描いていく。
大正天皇は、幼少の頃は病弱だったが、結婚と、教育の一環として始まった地方視察をきっかけにずいぶん健康になっていた。また性格としては、家族を大事にして自分の子とよく遊び、全国に出かけて地元の人と打ち合わせなしでフランクに会話することを好んだ。自分の身分のせいで人々が恐縮するのを、むしろいやがっていた。
地方巡啓*1中のエピソードとして、マツタケ狩りに行ったが、妙によく取れすぎる、とヤラセを見抜いて関係者を慌てさせたとか、旧友宅を訪ね、「今日は恐惶だなどは一切よせよ、お前は学校に居る時、俺と鬼ごっこの相手でないか…」などと話し、長居しすぎて予定されていた軍事演習の見学に遅刻したことなどが紹介されている。
韓国を含む全国各地への巡啓を好んだ大正天皇だが、巡啓先では、これをきっかけに道路の舗装や電灯が整備された。カメラにも興味があったらしい大正天皇は、写真嫌いな明治天皇とは対照的に、気軽に新聞社に写真を撮らせ、メディアを通じて皇室の具体的な姿を伝えることになった。これらによって、江戸時代の藩による支配ではなく、全国の日本人はみな日本という国家のもとにあるのだ、という意識を強化した。それが当時の政治家の意図であったが、大正天皇本人がそれを意識していたかどうかはわからない。
大正天皇は、儀式ばったことや政治が苦手だった。しかし、天皇の役割といえばまず儀式と政治である。しかも、強いイメージで富国強兵など日本の近代化を進めた明治天皇のあとだ。比較的自由な行動が許された皇太子時代と比べて、天皇になってからは一気に負担が増し、それが体調にひびいていった。はっきりと書かれているわけではないが、この人は天皇を辞めたかったのではないだろうか。元気だった皇太子時代の振る舞いを見ても、一般人であったほうが幸せだっただろうに、と思える。大正末期には公式行事への参加もできなくなり、のちの昭和天皇が摂政として代理を務めていた。
昭和天皇は、祖父である明治天皇を模範とする教育を受け、天皇になってからもそのように振る舞い、公的な場でもたびたび尊敬の念を表現していた一方、父の大正天皇についてほとんど語っていないそうだ。
*1 皇太子が各地を視察すること。天皇なら「巡幸」
# PukiWiki/TrackBack 0.1:原武史 原武史 † 【はら たけし】 東京都渋谷区生まれ 1962- 原..


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# さな [キャンティ物語に書かれている以前のことが知りたいならお教えします。]