2002-09-25 (Wed) [長年日記]
#1 おはやうございます。
きのうは2時に寝たのに、今朝は6時半に目が覚めてしまったのでした。
#2 キリスト教と占い
最近散歩部で、Web上でできる占いが流行中みたい。
ところでshinoさんが「どうも最近、ここかしこでさまざまな占いをする人が目に付くのですが、どうしてでしょうか?」に続いて、占いは嫌いだと日記に書かれている。私が知っていることは、shinoさんはクリスチャンで、そしてキリスト教では占いを禁じているということだ。文中で、やはり占いを良くないとする別の人の意見にもリンクされているが、この方もクリスチャンだ。
shinoさんの日記とそのリンク先だけを見ていると、宗教的背景については気づきにくいし、キリスト教と占いについては意外と知られていないと思うので書いてみた。
#3 占いの効用
私は、個人的にはほとんど占いを信じてはいないけど(新聞・雑誌に載っている星座占いとか干支別「今日の運勢」に目を通して、5分後には忘れる程度)、それなりに効用はあると思っている。
日本では占いが特に盛んだ、とどこかで聞いた*1(血液型占いは日本生まれらしいし)。性格とか運命について話題にしたい人が多いので、そのきっかけにするためというかコミュニケーションツールなんだろうなと思う。
私は、つい一年ほど前まで自分の血液型を知らなかったので、血液型をきかれると(日常会話でのそれは輸血のためなどでは決してなく、性格に関する会話のきっかけに決まっている)逆に「何型に見える?」と聞きかえすのが面白かった。「私ってどういう性格に見える?」なんて突然聞かれても答えにくいから、4種類に単純化したひな型からどれに一番近いか選んで答えてもらうわけだ。これによって、非常に大雑把にではあるけど相手に自分がどういう印象を与えているかわかる、と。
ちなみに、私は実際のところA型なんだけど、学生時代は「B型でしょう」と言われることが多かった。「両親ともAだから、AかOなんだけど」と言うと「Oでしょ」と言われた。そして、社会人になってからは「Aだよねー」と言われる。私は、働きはじめてから自分のまじめな(まじめすぎる?)面が前面に出てきているんだなぁ、と思う。
そのほか雑誌とかに載っている占いとか性格診断のたぐい(よくもまぁ、次から次へと新種が生まれるもんだ(笑))で、すべてのタイプを見るのが面白い。その占いの世界観では、すべての人が、そこに挙げられたいずれかのタイプに当てはまっているとされているわけだ。実際に占わなくても、この中なら私はどのタイプかなぁと考えたりする。
*1 というか、上に書いたような事情があるので、キリスト教文化を基盤とする欧米で占いが盛んじゃないのはあたりまえだ。逆にアジア人は好きなのかもしれないね。風水とかあるし
#4 2時間半…
文章を推敲していたらあっという間に時間が過ぎてしまった。
あと、最近SP1も出たことだしブラウザをIE5.5から6にしたんだけど、スタイルシートの解釈が違うらしく、箇条書きの文字とか注釈とかが小さくなっている。でもtDiaryテストベンチで見ると、小さくは見えないんだよね。なんでだろ?そんなこんなで気づいたら9時…。
→やたっ解決!そろそろ時間がないので詳しい検証はあとで。
めんどくさいので簡単にメモ。IE5.5以前ではx-smallとsmallの違いがなかったけど、それがIE6では表現されるようになったみたい。で今まで注釈とかをわけもなくx-smallに指定していたのが、小さすぎて読めなくて嫌なので(しかしコジャレ系サイトで日記本文がこの大きさのところもあるよね、信じられない)やめた。
というか文字の大きさは全部%指定にするのが楽でイイのかもしれない。(2002.09.29追記)


ツッコミ入りRSS

ワタシは無神論ですが占いも嫌いです(笑)
そんなわけで私は占いについては消極的肯定派なわけですが、占いのコミュニケーションツールとしての面が逆にうざいってのもわかる気がします。
ちょっと前のオヤジの常套手段でもありましたよね>手相占いとか(笑)。<br>以前、直接の上司ではないけど飲む席で女と見ると手相占いと見合いの話をしていたおっさんがいて、一緒に飲む機会があったときにホントにその2つをやってくれたので心の中で大笑いしたことがありました。
ま、確かに聖書が禁じているから僕も占いはしません。<br>ぶっちゃけた話、占いってそれ自体人生観や価値観にまで影響するもので、結局ひとつの宗教なんですよ。だから、キリスト信仰と両立するわきゃない。占いがいけない理由ってのは、僕にとっては割とすんなり受け入れられるものでした。<br>キリスト教徒になってからは自然と占いを避けるようになったかな、私の場合。<br>ただ、キリスト教と占いの関係については面白いエピソードがあります。『マタイによる福音書』によると、イエス・キリストの誕生を祝いにやってきたのは3人の占星術師だったりするのです(もちろん、この事実をもって僕が占いを肯定しているわけではないので。念のため)。
>nijimuさん<br>そのおやじにとっては、占いとは女性の手を握る手段ですか。それはそれで別種のコミュニケーションツールだ(わらい)<br>>ほそのくん<br>>占いってそれ自体人生観や価値観にまで影響するもので、結局ひとつの宗教なんですよ。だから、キリスト信仰と両立するわきゃない。<br>非常にわかりやすいコメントだとおもいます。そして、shinoさんとかリンク先の人も実際のところは「占いが“嫌い”」とかいうよりは、そういう風に考えているんじゃないかと勝手に推測。<br>そうなるとおみくじ売ってる日本の神社とかは、同じ宗教といっても全然違うよなぁ。いやあれは神道の神様が大吉なり凶なりを引かせているということか。
初めまして。大安だとか仏滅だとかも占いの一種ですよね。日本では、古くから生活に根付いているもので、占わなくなったのが最近のことなんだと思います。
それにしても、散歩部で占いの話ばっか続くと困るんだけど(笑)。<br>「占いは嫌い」なんてブチ壊しな雰囲気つくるのもアレだし。:p
↑言ってるやん(笑)
うーん、困るっていわれてもなー。クリスチャンじゃない人にやめろとはいえないんじゃない?<br>健忘さんもおっしゃるように、好き嫌いというより日常生活の中でむかしから普通にあったものだと思うので。<br>個人的には、知らない人にいきなり「占いは嫌い」って宣言すると「この人なにこだわってるの??」で終わっちゃうと思うので、ちゃんと宗教上の理由から説明する方がいいと思うよ。<br>逆にクリスチャンじゃない人間にできるのはそういう人を無理に誘わないことくらいかねー。
占いもいろいろ。風水は、信じてる人が向こうからいろいろ押し付けてくるので、ちょっと嫌いになった…。「この家なら台所には黄色を置かなきゃダメ!」なんて言われてもねぇ(--;<br>自分は信じてはいないけど、占ってもらうの結構好きなんですけどね。
あー、困るというのは、話題についてけなくて困るって意味です。
っていうか散歩部って話題の進展がはやすぎて、仕事してるとついてけないから同じなんだけど(笑)。
(急いでツッコむとロクなことないな…)。あー、クリスチャンじゃない人にやめろ、なんて言えないというのはもちろんそうです。
確か六曜は明治以降に一般に用いられるようになったはずなのでそんなに古くから生活に根付いてたわけではないと思います。
nicolaさんお詳しいですね。<br>風水ねー、香港なんかでは巨大なビルを建てるときにもすごく気にするらしいけど。あと日本の都市もかなり風水に基づいて造られているらしいですよ。北が山で東に寺があるのがいいとか(うろ覚え)。