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2002-05-26 (Sun)

#1 17日と21日の日記を追加。

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#2 うわ,しばらくムネオハウスの事を忘れていたらこんなモノ*1がっ。とりあえず7月上旬というMUNERE '02の先行予約を申し込んでみた。

*1 例によって音が鳴ります注意

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#3 二日連続オールな週末

金曜の夜は某飲み会。30代くらいの人が中心で仕事は様々。土曜はLatifahさんOrgan barでどっちも始発まで。そのほか服や靴の買い物をいろいろ。あとマン・レイ展にも行ったし,このくらい色々と活動すると,明日からの仕事の毎日も気持ちよく迎えられるってもんだ。

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#4 マン・レイ展@東急文化村ザ・ミュージアム

全体的には,機材の進歩もあって今のほうがいいものが撮れるのでは?と思える写真が多い*1(え,それを言っちゃお終い?)。ソラリゼーションはいま見ても面白いし,顔だけ,とか手だけ,など,体のパーツを強調した写真にはこの人独特の感覚を感じるけど。あと彼とかかわりのあった女性たちの写真が色々あったけど(“モンパルナスのキキ”とかが有名ですな),個人的にはリー・ミラーが好きなのでもっと見たかった。ソラリゼーションを一緒に開発したとも言われるのに写真が少なく,扱いが小さいなぁ…と思うのは私が彼女のファンだからか。

*1 私には写真の素養は全くなく,単なる感想ですが

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本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを読む]

# latifah [どうも、昨日はおつかれさまでした(^^) オールして、午後から活動して・・・の生活だったせいかどうも体のリズムが変で..]

# yuco [どうもー。ほんとありがとう。私も週末は午前6時頃〜昼過ぎくらいまで寝る生活でした。きのうは(今日か)1時くらいには寝..]

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2004-05-26 (Wed)

#1 クリエイティブ・コモンズとweblog/web日記 (2)

わたしがぐちゃぐちゃ書いたことをもっと端的にまとめている方がいた。

blogにCCライセンスが必要なのかについては疑問があるというか、CCライセンスをつける意味というのはかならずしもないのかもしれません(引用とやわらかい非禁止で十分という立場は十分ありうるところです。)。とはいえ、1つの選択肢としてCCもあってよいでしょう。

ということで、私も別に「CCライセンスをつけるべきではない」と主張しているわけではない。つける選択も十分ありだと思う。ただ、私はこの日記では、現在のCCライセンスだと手放すことになってしまう「ある程度のコントロール」を失いたくないというだけ。

以前、たしかYAMDAS Projectだったと思うんだけど(うろ覚え)、サイトの内容を全部まるまるコピーされていた、ということがあったのを見た。自分のサイトでこういうことがあったら、と考えると個人的には歓迎できない。しかし、現在のところ、ベータ版のサンプリングライセンスを除いて、CCライセンスは、まずは同一の複製の配布を認めるものだ。

だから、サンプリングライセンスをweblogに適用するというのは面白いと思う。日記以外にも、これなら適用してもいいなと思っているコンテンツ製作者はいるのではないだろうか。

つまり私がいいたいのは、現行のCCライセンスは、特にCCが好きで、まずはそれを使うことを優先して考えている人ではなく(そういう人が「もっとCCライセンス使おうよ」と言うのは十分予想できる)、単にwebでちょっとした雑文を書いていて、別に権利意識にこり固まっている訳でもなく、常識的な範囲で自分の文章をそれなりに使っていいよ、と思っているくらいの人にとっては、あまり使いでのよいものではないのではなかろうかということだ。もちろん、以前の文章で書いたように、「CCライセンスだからこそ出来る」という新しい使い方が出てきたら考えを改めるだろうが、そういうものを私はまだ知らない。

これは日記だからこういう感覚を持っているのであって、絵や音楽であればまた感覚は違ってくるかもしれない。私にもそういう能力があれば…いや、小学生のときにヤマハ音楽教室で作曲したのをmp3にして載せればいい?

ただ、世の中に、自由に使ってよいコンテンツの総量が増えるのは私も良いことだと思っているので、独立した単発の文章その他を生産して、それに個別にCCライセンスを適用するということはしていきたい。

というわけで、weblog/web日記に関しては、現在認められている引用で大体良いのではないかと私は思っているが、以前にも書いたように使いづらいのはここだ。

引用の厳密な定義のうち、主従関係にあり、主の文の方が多いことetc.はやや使いづらい。web上の引用ではきちんと守られていないケースもよく見られるし、個人的にはもうちょっと緩く適用したい

最近も、本の抜書きを中心にしていた梅田望夫氏のはてなダイアリーが公開停止になったということがあった。これは引用した元ネタが書籍のことが多かった(ネット上の発言もあった)ので、厳密にはちょっと問題が違うが。

私は公開停止直前に梅田氏自身が「この程度のことは問題にならないだろう」と発言していたのを見ている。寄稿している媒体の編集長が「彼を守るために」公開を停止させたといういきさつを説明し、梅田氏自身がこのことについて何も発言していないことに若干の違和感を感じるが(寄稿者と編集長というのは、タレントとマネージャーというよりはもっと独立した関係だと思っていたのだけど…)、ビジネスマンとしての梅田氏個人の独立した判断によるものだろうと思いたい。

ライセンスは、とりあえずは何種類あってもかまわないものです。用途に応じて作ればよいだけの話です。いきなり標準化するのは不可能です。もちろん標準化したほうがコストも下がりますので、やがてはライセンス間の競争がおきてすぐれたいくつかのライセンスに収斂していくことが望ましいのでしょう。しかし、そこに至るにはまず選択可能なライセンスの数を増やす必要があります。日本のネットにあった日本発のライセンスを、です。

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2005-05-26 (Thu)

#1 そろそろ、m.e.s.h.に始まる「自分の周りだけが"ブログ界"全体だと思う症候群」に名前をつけた方がいいような気がする

と言ったら、「そういう連中はm.e.s.h.がはじめじゃないよ! 全く近頃の若者は自分の知る範囲だけが全部だと思いやがって」とか反論されたらどうしよう。

根本的にはネット活動には国勢調査とかGNPとかそういうものがないし、マスコミの取り上げ方もかなり偏っているので、全体が見えないってことだと思う。

たとえば私は、ガ島通信の人よりはネットを見ている範囲も期間も長いと思うが、もっとたくさん見ている人も大勢いる。しかし全てを見ろと言っても無理な話なので、「『とりあえずこれ読め』と言える共通認識」ってのはあった方がいいよなあと思う。

それを目指しているのが『教科書には(ry』ISBN:4798106577 なんだろうけど、時事・社会問題系はあんまりフォローされてないしなあ。

みんな自分の周りの文化圏に名前をつけて、たとえばガ島通信なら「ブログの終わり」ではなく「アルファブロガーの終わり」と書けば通じやすい。でもそういう「名づけ」こそ、そこそこ広い範囲を見ていないとできないことなんだよなあ。

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#2 専門分野の執筆センスと「ブログ論」をするセンスは別物

R30:ブログブームの終わりとかガ島通信:「ブログ」の終焉をみていて思うのは、専門分野の能力や分析力、執筆力は高い人たちなんだけど、(仮に日本語限定としても)ほんとうに様々な人が相互に影響を及ぼしながらいろいろなことを書いているネット全体の中で、自分たちのブログを位置づけるという能力に欠けているのかなという気がする。相互の影響というのは、ネット上のやり取りだけではなく、会うことも含まれる。もちろん会って話すことのほうがインパクトが大きいのは言うまでもない。

そしてそれが欠けている人がブログ全体(ブログ論ってそういうことでしょ?)を語っても的外れにしかならないというか。

上記の意見は、そういう意味ではネット全体と自分の位置づけが見えている人の文章だと思う。

が、いきなりブログ界全体を巻き込むようなタイトル「『ブログ』の終焉」はないんじゃないかと。単なる煽りであり、本質的にはどうでもいいポイントではあるけど。

しかし、私にはここがどうでもよくないポイントのように思える。

社会性というのは、ひとことでいうと、「システムがどういうふうに機能しているか、だいたい見当が付く」能力のことである。 よく使う図書館の比喩を使わせて頂ければ、「自分が読んだ本」(それがどれほどささやかなものであれ)が図書館のどの階のどの棚に配架されているかを知っていることを社会性という。

このたとえで言うと、難しい本をたくさん読んでいて知識はあるけど、自分が読んだ本だけが図書館にある書籍のすべてだと思っていそうに見えるというか、図書館全体の本なんてひとりの人間に到底読みきれるものではないということに気づいていないというか。

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本日のTrackBacks(全2件) []

# HsbtDiary:そろそろ、m.e.s.h.に始まる「自分の周りだけが"ブログ界"全体だと思う症候群」に名前をつけた方がいいような気がする526 前から感じていたこととして、gooやyahoo系のblogサービスを使っ..

# ARTIFACT ―人工事実―:昔書いたブログ論ピックアップ ARTIFACT ―人工事実― | ホイチョイがblogと言い出せばblogブー..


2006-05-26 (Fri)

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