2006-04-16 (Sun)
#1 tDiaryをCVSでアップデート……をあきらめ
昨日のパーティの席で新バージョンが出た*1ということでアップデートを試みた。いつもはダウンロードページでtar.gzファイルを落としていたのだけど、そろそろCVSを使ってみる。
$ cvs -d :pserver:anonymous@cvs.sf.net:/cvsroot/tdiary login
まず、anonymousでsf.net上にあるtdiaryにログインする。pserverというのは本来、特定の人がパスワードでログインするための仕組みなんだけど、ここではanonymous@cvs.sf.netを使えばsf.netに誰でもログインできる。この次の行でパスワードの入力を求められるけど、anonymousの場合は空白のままリターンキーを押せばよい。
%cvs -d :pserver:anonymous@cvs.sf.net:/cvsroot/tdiary checkout core
今いるディレクトリにcoreというディレクトリを作り、そこにtdiaryの最新版をコピーする。(ここまではできた)
%cvs -d :pserver:anonymous@cvs.sf.net:/cvsroot/tdiary checkout -d diary core
私がやりたいのは、指定した既存のディレクトリ(あるいは今いるディレクトリ)に、tDiaryの最新版をコピーすること。以下の -d diary の部分が指定した既存のディレクトリ(こちらより)。
cvs checkout: move away diary/theme/tdiary1/tdiary1.css; it is in the way C diary/theme/tdiary1/tdiary1.css
すると以下のような結果がすべてのファイルについて出るが、こちらによると、Cが出た場合は「手動で作業ディレクトリ上のファイルを修正する必要がある」そうなのだけど、tDiaryを構成するすべてのファイルを修正するのはいくらなんでもアレだし、エディタで開いてもなにもわからないし、結果としてはアップデートはされていないみたい。
『入門CVS』という本を見ながらやっているのだけど、Windows用のCVSであるWinCVSの説明が主なので、私の目的(UNIX環境でanonymousでcheckout, updateだけできれば良い)には分かりづらい。
挫折。
結局普段どおりダウンロードページから落としてきてFTPで済ませましたとさ。CVSはもういいや、なんか最近CVSよりSubversionなるものの方がいいとか、乗り換えたとかいう噂も聞くし。
アップデート時に参照するまとめWiki
いくつか自分流にカスタマイズしているファイルがあるので、作っておいた。
追記:無駄なあがきだったらしいorz
NTさんのところより
anonymous CVS に修正が反映されるには通常でも少し時間がかかる上に、現在は開発者向け CVS と anonymous CVS との同期が行われていないらしいのでコミット権限をもらっている人以外は tar ball を使うしか方法がない。
SourceForge.net自体CVS初心者が使うには向いてないかもしれませんね〜。以前同じようなことを試みたときもCVSが死にっぱなしだったことを後から知りました。
初心者だと、思うような動作をしないときに、自分がミスをしていたのか、あるいはシステム側の問題なのかわからないので。
*1 私は22時過ぎに会場に行ったので、このときはその場にいませんでした
#2 就職サイト問題その2
(その1はこちら。)
既にいろんな方が書かれているようなので私が書かなくてもいいかなと思ったのですが、いくつか。
その1:「自動的」で「大々的」だから就職サイトはダメ
※追記:もちろん、就職サイト以外のアプローチをしたとしても就活における大学差別は厳然とあるだろう。しかし、就職サイトはそうした個々の企業の大学差別をシステマティックにかつ「自動的に」かつ「大々的に」に集約・媒介して広く送り出しているという点でやはり問題があると考える。
リクナビのサーバがシステマティックにかつ「自動的に」かつ「大々的に」情報を処理しているからいけないと言わんばかりですが、webサーバというものはそういうものです。はてなダイアリーのサーバだって自動的に大量の情報を処理しています。
問題はそのような情報処理を「誰が」指示しているかでしょう。
その2:就職案内冊子の厚さは目に見えるけど他人に来たメールの数は目に見えないから就職サイトはダメ
yukihonda 『飯田さん、就職案内冊子の厚さなら歴然と目に見えますが、就職サイトから送られてくるメール数の格差はなかなか気づかれません。しかも最近は大学名不問を標榜する企業が増えているにもかかわらず、こうした隠然たる選別と情報格差が存在することは明るみに出されていいことだと思います。あるいは、これが全然当たり前で何の問題もないことなのでしたら、あっさりとスルーしてくださって全然かまいません。』
就職案内冊子は自宅に届くものだ。別の大学の友達の家に行って冊子の厚さを測って回る人がそんなにたくさんいるとは思えない。
それよりはむしろ学生どうしがネットを使って「○○社からもうメール来た?」とか情報交換するほうがより大学間格差が感じられるのではないだろうか。就職サイトとは直接関係ないが、ネットがない環境よりはあるほうが「大学間格差」に気づく機会は多い。(例:みんなの就職活動日記)
その3:翌日の記事(持論の補強/批判への反論になってないのでは?)
企業がなぜ大学名による選別や就職サイトを利用しようとするかと言うと…
引用した部分だけでなく、この文章全体を読んでも、やはり問題が就職サイトにあるとは思えない。というか、この文章は「就職サイトが大学の偏差値による格差拡大をもたらしている」という前日の記述の補強になっていないし、「就職サイトじゃなくて企業の意思の問題でしょ?」という私やその他のトラックバックを送った人の答えにもなっていない。それどころか、企業がある目的を持って就職サイトを使っていると言っているので、結局のところ前日の説をひっくり返しているのに近い。
…新規大卒者を一括採用するという慣行があるからです。限られた期間に大量の新規大卒者から、企業にとってできるだけ「いい」と解釈可能な、あるいは企業の人事部にとって「今年の採用活動の成果」として示しやすい「人材」を、頭数を揃えて採用するためには、大雑把で簡便な基準やスクリーニング手段を用いざるをえなくなるのです。
限られた期間(できるだけ短い期間)にできるだけ良い人材を採用したいのは企業として当然のことで、そのために必要なら「大雑把で簡便な基準」を使ったっていいだろう。「用いざるをえなくなる」のようなネガティブな表現を使う理由が分からない。
たぶん、就職サイト=悪という考えが根底にあり、企業は本心はイヤなのだけど使わざるを得ないという考え方なのだろう。しかし、企業は使わない場合よりメリットがあるから就職サイトに金を払っているはずだ。やりたければ封書や電話でエントリーや説明会を受け付ける旧来の方法を取ったっていいし、全員コネで採用したっていい。
だいたい、この文章によると、悪の大本は「新卒一括採用」であるということになってしまう。しかし、新卒一括採用がなくなっても「就職サイト」はなくならないと断言できる。なぜなら、転職者向けの「リクナビ」も存在するのだから。
◇大学就職部からみた学生の就職行動の変化(4〜5年前と比べて) 「学生がインターネット情報に頼りすぎになった」−「とてもそう思う」43.7%、「ややそう思う」43.1%(「とてもそう思う」比率は他の項目の中で1位)
このアンケートを、「格差拡大をもくろむ悪の就職サイトが純粋な学生をひきつけ、離れられなくしている」みたいな読み方をするのは著しく偏っていると思う。動かない学生の問題と考える方が妥当。
そもそも就職サイトのおかげで、たとえば一つの会社に資料請求する手間は圧倒的に簡単になっている。以前は葉書による資料請求で、手書きでないと失礼だとか、資料に対するお礼状は必要か否かなんていう論争すらあったのだから。
2008-04-16 (Wed)
#1 『黄金の馬車』@東京国立近代美術館フィルムセンター
前日に続いてフィルムセンターのジャン・ルノワール特集。
18世紀初頭、南米のスペイン植民地。イタリアからやってきた劇団の花形女優(A・マニャーニ)は、みるみるうちに現地の男たちを虜にし、一座は脚光を浴びるが…。本作こそルノワールの最高傑作だと絶賛したF・トリュフォーは、題名を自らの会社名に使うほどであった。本作は英語・フランス語・イタリア語の3つのバージョンが製作されたが、今回は英語版を上映する。
'52仏=伊(原)プロスペル・メリメ(脚)ジャン・ルノワール、ジャック・カークランド、レンツォ・アヴェンツォ、ジュリオ・マッキ、ジネット・ドワネル(撮)クロード・ルノワール(美)マリオ・キアーリ(出)アンナ・マニャーニ、ダンカン・ラモント、オドアルド・スパダーロ、リカルド・リオリ、ポール・キャンベル、ナダ・フィオレッリ、ジョージ・ヒギンズ
この解説で知ったけど、この映画の原作者は『カルメン』のプロスペル・メリメなのね。
素晴らしい映画だったのだけど、言葉で説明するのが難しい。色彩が美しく、画面の隅々まで華やかで、映画の中の現実と登場人物が演じる演劇が重なって見えてくる。この映画内演劇というのは、面白いと感じることはできるのだけど、いざ言語化しようとすると人文系のボキャブラリーがない私には論じられないなあ。
前日観た『恋多き女』のバーグマンは無邪気で恋愛を意識せずに男の気を引いているけど、この映画のアンナ・マニャーニは恋愛のなんたるかを十分分かった上で男を惹きつけている、きっぷの良い堂々たる成熟した大人の女性であった。
ルノワールの映画は、『恋多き女』もこれも、あとで見た『フレンチ・カンカン』もヒロインが3人の男に愛され、求婚されたりするが、本命と結ばれハッピーエンド、という単純なのは3本の中では『恋多き女』だけで、残り2本は誰も選ばない結末になっている。
この映画もルノワール+ルノワール展では、画家ルノワールの描いたスペインの衣装を着た人物の絵と並べて映写してあったのだが、スペイン風の衣装の絵も描いてますよと言ってもルノワールでは例外的だと思うし、いわゆる印象派的な、ルノワール的なイメージとはちょっと違うと思った。舞台が南米であり、闘牛などスペイン風の風俗やアンナ・マニャーニの真っ黒い衣装、宝石や馬車の光からは、私はむしろベラスケスやゴヤをイメージした。


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